写真では見えにくいが、船を繋留するためのような石がある。
ここで道中を共にした、那須俊平は引き返す。
村上氏の説では、ここから長浜までは船旅なので
道案内は不要だったのではないか、という事である。
私も、この説には説得力があると思う。
川はほぼ南北に流れているが、ベクトル的には北が瀬戸内海であるが、
肱川支流は北から南に向かって流れている。写真では右手が北、上流になる。
川は一度南に下り、その先から西に向かい大洲城下を過ぎ、北に向かい、長浜に至る。
長浜に向かう
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