坂本龍馬脱藩の道をたどる

文久二年(1862)三月二十六日、若き土佐藩士は梼原を後にして脱藩の道を踏み出した。齢二十八歳、彼の名は、坂本龍馬と言った。ご存じあの幕末の英雄と末代まで語り次がれる、龍馬伝説の始まりである。坂本龍馬を語るには、私如き浅学非才には大それたことで、ほかのサイトに無数に見られるであろうから、ここでは、梼原村を立ち、伊予の地を駆け抜けた彼の足跡を、写真で紹介する事にする。とりあえず、梼原町宮野々番所から始める事にする。なお当時の事実がはっきり確認出来るようになったのは近年で、大洲市の、村上恒夫さんが種々の文献、古文書を研究の結果、現在のルートが解明された。
榎ヶ峠から泉ヶ峠までの「龍馬脱藩の道」は河辺村発行のパンフレットによれば文化庁選定「歴史の道百選」に選定されている。
管理人は2003年秋から冬にかけてこの道を追った。
これより十数年ばかり以前、韮が峠から宿間までのルートをホンダTLR200で走ったことがあった。同行したのも大洲市の村上さんと同姓の村上さん。しかしその村上さんは病のためにこの世を去った。まだ60歳に届かない若さだった。改めて、昔の街道をバイクで走る楽しさを教えてくれた両村上さんに感謝をする。
なお、このサイトには、当時の龍馬の行動とは無関係だが、面白そうなものも掲載しているので、誤解無きよう。

高知市

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坂本龍馬脱藩の道

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