(いずみがとうげ)

喜多郡五十崎町北表と南隣の同郡河辺村横山との間の峠。標高655m。県道横山−
内子線が通じる。江戸期以来、五十崎町から河辺村名場連(なばれ)、密ヶ峠、
野村町惣川(そうがわ)を経て高知側に入る土佐街道の一つで、明治末期ごろま
では人馬の往来が絶えなかった。峠は四つ辻になっており、大正の初め頃までは
旅館、小料理屋、鍛冶屋、雑貨屋など10数軒の集落をなし、市日や紋日(物日=
祝い事、祭りなど特別な事のある日)
には数十人の泊まり客があったという。
現在ではその跡形もない。(愛媛県百科事典から抜粋)

水ヶ峠をそのまま西に進むと、ようやく龍馬が宿泊したと言われる
泉ヶ峠に達した。山深い所だと思っていたら、すぐそばには人家が
見えた。十数年前、バイクで走破した時に比べると道が変わっていた。

車はここまでは入らないので、途中で停めて徒歩約10分 


途中に見える、五十崎町


左側山の向こうが韮ヶ峠


記念碑

山を越え谷を越え、龍馬はこの道を通った。
うーん、「感心する」の一言しかない車を使ってさえかなりしんどい一日だった。

 
かっては建物があったと思われる石組み(左)

私は途中を車で移動したものの、龍馬が一日でこれだけの距離を、
しかも草鞋で駆けめぐったことには驚く限りである。使命感に燃えて
いた、坂本龍馬、澤村惣之丞、那須俊平の精神力の強さであろうか。

龍馬脱藩の道と題したものの、梼原町の宮野々からしか作れなかった。
何れ機会をみて、梼原町内の道も作って見たい、

幕末の志士に関してはたくさん紹介のページが作られているので、
今回の目標は、写真で道筋を紹介しただけにした。交通の不便な
山村であるが、全国から多くの龍馬ファンが、この村を訪れて、
彼の足跡を辿ることを祈る、と共に、彼の軌跡を解明された、
大洲市の「村上恒夫」さんに敬意を表したい。

宿間に進む

龍馬生家跡

坂本家和霊神社

龍馬・ア・ラ・カルト

葉山村・檮原町・野村町・河辺村・五十崎町・肱川町編

朽木峠

宮野の番所跡

松ヶ峠

韮ヶ峠

男 水

脱藩の宿

榎ヶ峠

御幸の橋

横通り

封事ヶ峠

三杯谷

日 除

水ヶ峠

泉ヶ峠

宿間

伊予長浜

土佐勤王四天王関係

坂本龍馬脱藩の道

武市半平太生家

土佐勤王党
中岡慎太郎生家

吉虎太郎生家


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