坂本龍馬が宮野々番所を抜けたのは文久二年(1862)三月二十六日まだ明けやらぬ頃。

同行者は、那須俊平・信吾親子、澤村惣之丞であった。脱藩という罪を犯して
までも、若き勤王の志士はこの国の将来を憂う心の方が強かったのだろう。
(那須信吾は韮ヶ峠で、一度梼原に帰るそれは、東洋を斬る為であったのか)


この看板は所々で見かける(所々バージョン違いがある)


左手の山の向こうが九十九曲峠

先に吉村虎太郎が脱藩している。その時には堂々と馬に乗り通ったという。
龍馬が脱藩後、那須俊平達はこの番所をすぎて川を渡り伊予の国
に脱藩する事になる。国を憂い、我が身を省みぬ志士たちの胸中は
如何ばかりであったろうか。とりわけ齢50をすぎた那須俊平の死出の
旅路を思うと、胸を打たれる。

◎宇和島から宮野々番所跡への行き方

国道197号線を日吉から高研トンネルを抜け、梼原町に入り、四万川方面に左折する。
道が狭いので対向車には注意する事。所々道が広くなっているが、番所の跡は右手旧道にあるので、見逃さないように。

お断り・このコンテンツは梼原町を最初に作り、その次に河辺村となり、一番最後に高知市の龍馬生誕の地を作成した為、内容にちぐはぐな部分がある事をご容赦願いたい。

龍馬生家跡

坂本家和霊神社

龍馬・ア・ラ・カルト

葉山村・檮原町・野村町・河辺村・五十崎町・肱川町編

朽木峠

宮野の番所跡

松ヶ峠

韮ヶ峠

男 水

脱藩の宿

榎ヶ峠

御幸の橋

横通り

封事ヶ峠

三杯谷

日 除

水ヶ峠

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宿間

伊予長浜

土佐勤王四天王関係

坂本龍馬脱藩の道

武市半平太生家

土佐勤王党
中岡慎太郎生家

吉村虎太郎生家


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