初めての選抜大会

 昭和63年3月30日・春とはいえまだ寒い日であった。

第四試合

貧乏な私は車などなく、バイクで宇和島から甲子園を目指した。当時はまだ本州を結ぶ橋はなく、開通して間もない鳴門大橋を淡路島の津名まで行き、そこにバイクを置いてフェリーで甲子園に向かった。

宇和島を真夜中に出発。寒い寒い、ありったけの衣類を着込んでも、風は容赦なく吹き付ける。真夜中なので、トラックなどにはかなりの速度で追い越して行かれた。これも開通して間もない高速道路を初めて走った。土居〜川之江間。終点の川之江から国道を阿波池田まで、徳島に入る頃は夜が明けていた。


宇和島の町ではこんな横断幕がたくさんあった。
     
これは、この時のものではないけれど。たまたま写真があったので。(でもなんでこんな写真あったのかな?)

試合の経過は良くご存じだろうから、省くが、甲子園初めての勝利であった。これが快進撃の始まりだったとは、誰が予想したであろう。とにかく、宇和島の町は沸き上がっていた。
一度くらいは私の人生でも、こんな思いをしてみたい

 

初めての勝利を得た瞬間、右は上甲監督(ぶれてるけど)とカメラマン

初めての夏にはアルプススタンドで見たが、さっぱり判らないので、このときには三塁側の内野席最前列で見た。そばに宇和島出身の大阪在住の若い男性が、「東はすごいね!」と話しかけてきた。「今年は強いですよ、優勝もねらえるようですよ」と答えたが、実際その通りになるとは思ってもいなかった。

第四試合だったので、試合が終わり、また、フェリーの乗って淡路島に戻った。予定では少し眠る筈だったが、ガキがうるさくて眠れなかった。たぶん私と同じ行程できたのだろう、中年の男性が愛媛ナンバーの乗用車にに乗り込むのを見た。試合中に照明がついたが、帰る時には真っ暗であった。阿波池田でうどんを食べたのは午後10時頃だったかな。小雨が降り始め、大洲まで帰った時には、頭はぼんやり。午前4時頃家につき、少し寝ただけで、当然仕事には出ました。あの頃は身体も元気だった。

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