ほぼ史実に基づいた宇和島の歴史。一部私の創作があるけれど、賢明な方はお分かりでしょう。そのうち関連項目にリンクページを作る予定です。(ながくて見づらくてごめん)
(尚、参考資料は宇和島文化協会発行「宇和島の自然と文化」、宇和島市発行「宇和島市誌」津村寿夫氏著「宇和島の明治大正史」、久保盛丸氏著「南豫史」などを主に使っています)

感謝・先日、津村寿夫氏のご遺族の方とお会いでき、津村氏の遺された「宇和島の明治大正史前編・後編」を参考に宇和島の歴史を公表する事にたいし、快くご承諾を得ることが出来ました。津村氏は在野のジャーナリストで、歴史の表に見られない部分を鋭くお調べになっています。この場所を借りて御礼申し上げます。(津村寿夫氏とは)

私的・宇和島市年表

このページは時々思いついてはリンクを作ります。
全部読めば、あなたも宇和島通に。

付録:宇和島伊達家歴代表

付録・宇和島映画ロケ史

付録・宇和島テレビロケ史

付録・宇和島映画館上映史

付録・宇和島関係の作家、学芸関係者

年 号

西 暦

出来事
有史以前

△何もいなかった
△ 単細胞生物がいた。
△与作の遠い祖先にあたる猿人Aが猿人♂と猿人♀の間に生まれる。
縄文式前期から弥生式後期の時代にかけて宇和島付近に人々が住み始めた。
大和時代

旧事紀」に、景行天皇の皇子国乳別命(くにちわけのみこと)宇和別の祖となると記し、「日本書紀」には国乳別命を水沼の祖としている。
持統天皇5年

691
「日本書紀」の「持統紀」に、はじめて宇和郡の名が現れる。
仁和 元

885
宇和津彦神社に従五位下の位が授けられる(三代実録)
承平 6

936
このころ宇和郡には石野、石城、三間、立間の四郷がある(和名抄)藤原純友日振島を根拠地としてそむく
天慶 4

941
橘遠保純友を討伐し、その功により宇和郡に勢力を持ち、子孫が土着する。
嘉禎 2 1236 橘氏にかわって西園寺氏の荘園となり、後に一族が来住。
天文12 1543 ポルトガル船種子島に漂着。飛び道具がやがて戦争の性格を変えるることになる。
永禄 3 1560 桶狭間の闘い。
天正 3 1575 西園寺宣久が板島丸串城の城主となる。(板島=現・宇和島)
長篠の闘いで信長鉄砲を使い武田氏を破る。
々 10 1582 本能寺の変。
々 12 1584 西園寺氏支配下の諸城主が、土佐、長宗我部氏に服従する。
々 13 1585 豊臣秀吉の四国平定により、伊予国は小早川隆景の所領となる。
土佐・一条兼定、戸島にて死す。
々 15 1587   戸田勝隆が、喜多・宇和両郡を領し、板島丸串城に戸田与左衛門を居城させる。
文禄 4 1595 藤堂高虎が宇和郡内七万石に封ぜられ、板島丸串城に入城。高虎が板島丸串城の築城を開始。
々  5   1600   関ヶ原の役 高虎は東予十二万石を加増され、伊予半国を所領する。
慶長 元   1596  高虎、板島丸串城の築城開始。
々  3 




 
1598




 
△大津藩(大洲)に幽閉中の儒学者姜(かんはん)脱走して宇和島に逃げて、築城中の城門に秀吉を罵倒する落書きを書く。(その後とらわれ、死罪の執行寸前に一命を取り留め、大津藩に連れ戻される。
豊臣秀吉死す。
々  5   1600 関ヶ原の闘いで、家康、三成を破る。

々  6 1601 板島丸串城の築城工事完成。
々  8  1603 徳川家康征夷大将軍 江戸幕府始まる。
々 13
 
1608 高虎、今治城に移り、板島丸串城には代官をおく。八月、高虎伊勢の津に転封。富田信高、宇和郡十万石に封ぜられる。大阪冬の陣。
々 18 1613 富田改易となり、その後一時幕府の直轄領となる。(その理由については諸説あり)
々 19 1614 12月 伊達秀宗宇和郡十万石に封ぜれれる。△(秀宗の名の秀は伊達政宗が、秀吉に人質として預けたおり、秀吉からもらったという)伊達家由緒を見る
元和元年 1615

大阪夏の陣 豊臣家滅亡。 秀宗、板島丸串城に入城。

元和〜寛永の御歴代事記にみる中途採用藩士等

々 6 1620 6月 山家清兵衛公頼(やんべ・せいべい・きんより)殺される(家老桜田玄蕃による暗殺は後に上意討ちらしき事が書簡等により判明)和霊神社について
寛永 元 1624 与作がツルと婚姻。与作が木を切る
々 14 1637 島原の乱起こる
正保 3 1646

宇和津彦神社の造営着工。与作が木を切る(43歳)和作13歳。この年12月与作風邪をこじらせ死亡。葬儀には一族が集まる。 

正保年間拾い書き    

慶安 元 1648 和作・カメと婚姻。
慶安元年向新町成就(慶安年間の出来事)
 々 4 1651 秀宗、上野東照宮に灯篭を寄進
承応 元 1652 承応年間の出来事
明暦 3 1657

7月 秀宗隠居。吉田藩三万石を分知し、宇和島藩は七万石となり、宗利二代藩主となる。吉田藩があるおかげで「赤穂浪士」討ち入りのドラマができたのかも。

明暦年間の出来事

々  4 1658 契利斯督記(キリストき)によればこの頃松山藩23人、宇和島藩23人の藩士が切支丹教徒として確認されている(関前村誌、県内の宗門改めより)
万治元年 1658 6月6日秀宗逝去。万治年間の出来事
寛文 4 1664 城の修復工事をはじめ、寛文11年に完成。和作と一作、木を切る。寛文年間の出来事
寛文 11 1671 仙台伊達騒動
々  9  1669 八幡神社を再建。和作が木を切る。
延宝 2 1673 須賀川下新田の工事開始。和作病死。一作木を切る。
延宝年間の出来事
天和 元   1681 大浦新田の工事を開始。一作長男誕生 次作と名付ける
天和年間の出来事
貞享年間 貞享年間の出来事
元禄 6  1693 宗贇(むねよし)三代藩主となる。
々  9  1696 7月 幕府から宇和島領を十万石に直すことを許される。
々 15 1702 赤穂浪士討ち入り。
々 16 1703 和霊神社の祭礼始まる。
宝永 2 1705 閏4月 三浦で謎の生物
々    々 △次作の作った炭で千宗堂がお茶を点てる(これは定かではない)
正徳 元 1711 村年四代藩主となる。
享保 6 1721 △豊作 夜ばいにいって捕まり、無理矢理チヨと婚姻。親族一同集まる。すぐに子供誕生。二代目与作と名付ける。
々 16 1731 和霊神社社殿を鎌江城跡のふもとに造営、
同20年に完成。
々 17 1732 享保の大飢饉宇和島藩を襲う
々 20 1735 村候(むらとき)五代藩主となる。豊作木を切る。
寛延 元 1748 藩校 内徳館を建て、安藤陽州を教授とする。
宝暦 元 1751 藤好南阜を内徳館の教授とする。
々  9  1759 与作の長女イヨ 茂平に嫁ぐ
々 11 1761 イヨ長男誕生 与平と名付ける。
寛政 2 1791 与平が木を切る。この間に子供5人誕生。長男 茂平 
々  5 1793 吉田領内に百姓一揆起こり、安藤継明が八幡川原で割腹。(武左衛門一揆) 
△与作、野次馬で見物に行き、途中で倒れる。死亡
々 6 
 
1794 村寿(むらなが)六代藩主となる。藩校を敷教館と改称。茂平 ツヤと婚姻。
文化 5
 
1808 伊能忠敬この地方の海岸を測量。茂平測量を見物する。
々  9
 
1812 萩森蔀(しとみ)事件発生
嘉蔵
(後の前原巧山)八幡浜に生まれる。
△弥平 マサと婚姻。
文政 2  1819 宗紀(むねただ)七代藩主となる。
天保 6 1835 融通会所を設立。伊平 ツタと婚姻。
々  8 1837 大塩平八郎の乱。児島惟謙生まれる。伊平長男権助誕生
大阪商業会議所会頭土居通夫生まれる
々  11 1840 アヘン戦争勃発(〜1842)
弘化 元 1844 宗紀隠居し、宗城(むねなり)八代藩主となる。
嘉永 元 1848 高野長英をかくまい、藩士の一部に蘭学を学ばせる。
々  2 1849 末広鉄腸生まれる
々  6 1853 村田蔵六(後の大村益次郎)を召し抱え、洋式兵学の翻訳や指導をさせる。ペリー、浦賀に来航。権助 カエと婚姻
安政 2 1855 穂積陳重生まれる。権助長男与作誕生
々  3 1856 明倫館を増築して小学校を設け、下級武士の子弟の育成にあたる。鉄道唱歌作詞で有名な大和田建樹生まれる
々  5 1858 安政の大獄
宗城
が将軍継嗣問題で活躍するも、11月宗城隠居、宗徳(むねえ)九第藩主となる。
々  6 1859 宇和島藩ではじめて西洋型の蒸気船を建造。△作ったのは町の職人・嘉蔵。彼はこの功績を認められ前原巧山の氏名を与えられる。すべて自前で作ったようだが、あまり馬力がなかったとか。安政の大獄。(吉田松陰、橋本左内等八名死罪)
万延 元 1860 桜田門外の変
文久 元 1861 児島惟謙脱藩して上京、志士と交わり大儀を唱える。
アメリカで南北戦争始まる(〜65)この後大量に在庫を抱えた武器を日本に売りつけることで、マダム・バタフライ=蝶々夫人のパトロン、死の商人ピンカートン大もうけする。
々  2 1862 この頃江戸にて「魚づくし評判記」なるものに、諸侯のからかい文があり、宇和島はシャチと評価される。
々  3 1863 11月 宗城命により入京。有力な諸侯六人の一人として「参与」に任命される。
慶応 2 1866 6月 イギリス公使パークスの乗った軍艦三隻が宇和島港に入港。12月 イギリス外交官アーネスト・サトウが宇和島を訪問。与作見物に行く。
々  3 1867 2月 薩摩藩の使者西郷隆盛が宇和島来訪。4月 宗城入京して四侯会議を行い、10月 都築莊蔵が二条城で将軍慶喜に大政奉還を献言。12月 宗城上京して「議定」となる。

慶応 4 1868 松山藩討伐令が土佐藩にでる、宇和島藩支援命令受ける
宇和島藩最後の磔の刑
が、黒の瀬で執行される。
明治維新
明治 元  々 林玖十郎「参与」となり、東征大総督の参謀として江戸に入る。
々  2 1869 版籍奉還が行われ、宗徳は宇和島藩知事となる。9月 宗城 民部卿兼大蔵卿となる。明倫館を明誠館と改称。大村益次郎暗殺される。
々  3 1870 宇和島藩庁命令により、平民の苗字を称する事を許し、村々移動を認める。与作、苗字を西田と名乗る。
々  4 1871 廃藩置県。7月 宇和島県となる。11月 宇和島県・大洲県・吉田県・新谷県をあわせて宇和島県となる。裡町に三等郵便取扱書設置。
々  5 1872 宇和島県を神山県と改称。(この理由については、旧大洲藩の人に気を遣ってのことらしい)
々  6  1873 2月 神山県と石鉄県(いしづちけん)をあわせて愛媛県とし、神山県参事、江木康直を愛媛県参事に任命。西田与作が木を切る。(松山県は明治5年石鉄県と名称を変えた、この呼び名については多くの専門書でも「せきてつけん」とルビをふっているものがあるが、正確には「いしづちけん」と呼ぶようである。「せきてつ」はどうも通称らしい)
この年3月 政府兵部省は「城郭取り壊しの令」を発す。
△仙台青葉城城趾には「俗吏の手により云々」と書かれた石碑が見られる。正確な文言は忘れたが、とにかくこの碑文は、貴重な日本文化を破壊する行為が権力の側から行なわれていたことを示す証であろう
々  7 1874 3月、佐賀の乱の首謀者江藤新平宇和島に潜入
々  9 1876 香川県を廃して愛媛県となる。与作が木を切る。
西河通徹、新聞の記事で禁錮三ヶ月・罰金五十円の刑に。
々 10 1877 西南の役起こる、宇和島でも逮捕者がでる
々 14 1881 大石町に宇和島監獄ができた
々 17 1884 宇和島運輸株式会社が創設される。
宇和島警察署を広小路に新築。建設費当時のお金で一万三千余円(県の総予算約六十万円)警察署長・藤好乾吉はこれが原因で更迭される。(その後この豪腕ぶりを評価されて熊本・二本木警察署長に赴任)
々 19 1886 郵便取扱所を宇和島郵便局(三等・本町)と改称
元・宝酒造会長・大宮庫吉氏生まれる
々 20 1887 穂積陳重、わが国初の法学博士となる。
々 22  1889 愛媛県から香川県を分離。伊達宗城死去
々 23 1890 1月 山崎惣六が県の認可をえて初代宇和島町長に就任
第一回普通選挙実施(二回目には宇和町で大砲まで飛びだす激戦)
々 24 1891 児島惟謙が大津事件を裁く
々 27 1894 日清戦争始まる 明治28年(1895)終了
漢詩人・中野逍遙、若くして夭折。
々 29 1896 堀端通に税務署が出来た。末広鉄腸死去
々 33 1900 宇和島中学に短艇部創立(思へば過ぎし−の発端)
大和田建樹が鉄道唱歌を作った。
々 34 1901 県立高等女学校が開校
々 35 1902 現・鬼北町出身、南予中学卒、渡邊修、初代佐世保市長に就任。
々 37 1904 日露戦争始まる 明治38年(1095)終了
第六宇和島丸・旅順港封鎖作戦に出動
々 40 1907 連続凶悪犯カメこと、亀三郎、新谷で逮捕
々 42 1909 追手門から現・市立病院角までの城堀を埋める
々 43 1910 宇和島に電話が開通した
々 45 1912 5月1日宇和島に初めて電灯がついた。
大正 2 1913 現市立病院前角から下の城堀の埋め立て実施。
々  3  1914 宇和島鉄道開通。(宇和島―近永間)初めの宇和島駅は和霊神社の下であった。
々  6 1917 5月 丸穂村合併(町長 中原渉)
々  7  1918 米騒動起こり、宇和島でも日本酒類工場焼き打ち事件発生。
々  8 1919 宇和島で初めて車が走り、愛媛県で初めての交通事故発生
々  9  1920 山村豊次郎 11代町長就任。この年コレラ大流行
々 10  1921 8月 八幡村との合併成立。宇和島市制を施行。市章制定
々 11 1922 山村豊次郎、初代市長就任。皇太子殿下行啓
々 12  1923 6月 上水道設置を議決。宇和島鉄道、吉野生まで延長。
々 13 1924 蒋渕郵便局配達人、海難事故で殉職
々 14 1925 8月2日・琵琶湖で開催の大会で短艇部全国制覇
朝日運河が出来る。
々 15 1926 11月 上水道工事完成。通水式を挙行。宇和島市庁舎竣工
昭和 4  1929 2月 須賀川付替実施事業計画を決定。
々  6 1931 この年国内経済不況、失業者続出。低所得者救済事業を実施
々  7 1932 10月 須賀川付替工事完成。
々  8 1933 8月 宇和島鉄道を国鉄に移管。
々  9 1934 9月 九島村合併。この年宇和島城天守閣と追手門が国宝に指定される。

々 13  1938 「国家総動員法」発令 
々 16 1941 国鉄宇和島・卯之町間開通。12月 太平洋戦争始まる。
々 17 1942 宇和海の要衝・日振島に海軍防衛隊が設置された
々 18 1943 4月 市民の献金による陸海軍機「宇和島号」二機を献納。
々 19 1944 坂下津(さかしづ)に予科練が出来る
々 20 1945 1月8日 宇和島出身 八紘第11隊皇魂隊長三浦恭一陸軍中尉比島リンガエン湾において特別攻撃隊として僚友4機で出撃、烈死。22歳 
3月21日 内田寛海軍飛長 第一神風桜花特攻隊として出陣後鹿屋沖にて烈死。19歳。
同日 菊地孝行海軍上飛曹 菊水部隊銀河隊として出撃、九州南東海面にて烈死。21歳。(この項、入口健太郎氏著書「蒼天に紅の血は燃えて」資料引用)

5月 米軍による空襲が始まる
7月 予讃線、八幡浜-卯之町間開通
8月までの9回にわたる無差別爆撃により多くの民間人が死亡する。また、市街地の大半を消失して8月15日敗戦。12月占領軍の一部が宇和島に進駐。
々 21 1946 12月 南海地震おこる。
々 22
 
1947 4月 地方自治法施行。◎管理人御生誕
5月 新憲法施行
々 24  1949 伊達家から城山及び天守閣を宇和島市に寄付。旧内港の埋め立て完成。6月デラ台風襲来、宇和海地区に多くの犠牲者を出す。
々 25 1950 3月 天皇陛下ご巡幸。11月 市制30周年記念式典を挙行。
この年、宇和島市、津島町で、松竹映画「てんやわんや」ロケが行われた。松竹 渋谷実監督 佐野周二 淡島千景 藤原鎌足
々 28 1953 10月国民体育大会 弓道 宇和島で開催。
11月 国鉄吉野生・江川崎間開通。
々 29  1954 宇和津小学校独立開校。
々 30  1955 3月、三浦・高光両村を合併
々 31
 
1956 4月 天神小学校独立開校。
東宝映画「大番」ロケが行われた。
々 32  1957 来村合併。
大映映画「無法者の島」ロケが行われる。青山京子、鶴田浩二来宇。市では歓迎会を催す
々 33 1958 8月 管理人 坂下津海水浴場で溺かけれる。
9月 小林旭「女を忘れろ」でレコードデビュー(A3089・日本コロンビア・78回転)
々 35  1960 4月10日正午、城山のミュージックサイレン始まる。
天守閣修理工事着工。国鉄のディーゼル化実現。管理人城南中学校入学。△城南中学校一年生16クラスのためパンク状態、教室が不足。明倫小学校、鶴島小学校の校舎を借りての授業。
7月 日活映画「南海の狼火」宇和島でロケ。
小林旭、朝丘ルリ子、宍戸錠ほか来宇。
々 36  1961 城東中学校独立開校。△初恋の人SYさん、さようなら
7月21日 宇和島〜佐伯航路20年ぶりに復活
12月20日泉が森にNHKテレビ中継アンテナ出来る。それまで宇和島では大分県の放送を見ていた。民放はOBS大分放送、CMは楽天地なんあったなー。
々 37 1962 月5日 恵美須町に市内で初の交通信号機お目見え
10月1日 運転免許試験場も兼ねた、宇和島交通安全協会の宇和島自動車練習所が開設(現・公安自動車の場所)
々 38 1963 1月25日宇和島市公会堂大宮ホールで、アイ・ジョージ労音コンサート開催。司会・糸居五郎、伴奏・永尾公弘と東京マンボオーケストラ
々 39 1964 7月25日 宇和島労音例会 原信夫とシャープス&フラッツ 歌手・岸洋子、司会・久保田二郎
9月21日 東京五輪記念100円硬貨発行
10月1日 HNKカラー放送開始
10月10日東京オリンピック開催。宇和島東高出身、山下選手、体操鞍馬で金メダル。管理人にも見せてくれた。(ほんとだよ)

12月28日 俳人、松根東洋城逝去
々 40 1965 3月25日 御五神島閉島式。12年の開拓努力にピリオド。
この頃の風呂代大人15〜20円
12月26日 午後2時から公会堂で高校生エレキバンドによるチャリティーコンサート開催。出演、ザ・キングフィッシャーズ、ザ・ビートサウンズ、ザ・センチメンタルターキーズ、ザ・キャラクターズ。入場料50円。
現在テレビでおなじみのニュースキャスター、
宮川俊二氏がキングフィッシャーズの専属司会者で登場。(翌年は大学入試なのにねー。まだまだゆとりがあったのかな)
々 41 1966 管理人、花の都に上京。 ビートルズ来日。
4月 天皇・皇后両陛下宇和島にご巡幸。(実はこれを参考にしたのは宇和島市誌で、市誌では昭和40年となっていたので私はそのまま40年にしていた。その誤りを指摘されたのは、事情があり乳母車で入学したという異例の経歴の持ち主「まーきみ」様であった。)感謝
10月 新町名と住居番号を新設。
11月13日全日空533便YS−11型機、松山沖に墜落事故。乗客乗員50名全員死亡。うち宇和島医師会の医師6名、管理人の子供の頃からの主治医も逝去。ショック!
々 42 1967 喜劇・団体列車のロケが行われる。東映 瀬川昌治監督 渥美清 佐久間良子 中村是好 笠智衆
々 43  1968 8月 宇和島湾地震(こいつは怖かったー、夏休みで帰省中)
12月 黒尊スーパー林道起工式。(今は全面舗装の道だがダートコースが懐かしい。オフロード・バイクの天国だった)
々 44 1969 東映映画「新・網走番外地―流人岬の血斗」ロケが行われる。 高倉健主演。
々 47  1972 松竹映画「旅の重さ」のロケが行われる。高橋洋子主演。
管理人、偶然卯之町でロケに出くわす。冒頭シーンに使われた
々 48 1973 2月10日宇和島警察署新築完成
東宝映画「日本侠花伝」真木洋子主演のロケが行われる。
11月3日・長野県更埴市と姉妹都市提携
12月24日 時間断水実施(正月5日間を除いて翌年の2月6日の降雨による解除まで時間断水は続いた)
々 49 1974 1月16日 時間断水を1日5時間の給水に強化。考えられますか。一日の給水が5時間しかなかったのですよ。上水道の設置は愛媛県で最初でしたが、宇和島市民はいつも断水に泣かされていました。
2月6日 降雨のおかげで断水解除
3月2日 予土線全線開通
4月1日宇和海村を合併 8月6日 丸山球場完成
々 50 1975 7月16日 丸山球場で、初の高校野球公式戦(宇和高校対八幡浜工業)
11月3日仙台市と姉妹都市提携
々 51 1976 須賀川ダム完成。悲願の水不足問題に終止符。
宇和島の断水の記録を見る
一部を除き市内の電話番号が一桁から二桁に。
新市庁舎完成、11月移転、業務開始。
々 52 1976 東映映画「トラック野郎・天下御免」菅原文太主演のロケが行われる。助監督 宇和島出身 井上真介
11月20日 宇和島橋完成   1 2月21日 宇和島市立病院で腎移植手術開始(以後全国的にも有名になった)
々 53 1977 11月6日 宇和島郵便局完成
々 54 1979 松尾バイパス完成、宇和島〜津島間が四分の一に時間短縮 8月8日 滋賀県で開催された高校総体で宇和島南登山部、男女優秀校に選ばれる。
々 55 1980 津島町山財ダム完成、全国高校総体が四国で行われ、宇和島地区はハンドボール会場になる。8月5日高知県で行われた登山競技で、宇和島南高校登山部、男女ともに優秀高になる。9月22日 イラン・イラク戦争始まる 10月17日栃木県で行われた国体で南高女子登山部全国優勝。
々 57 1982 4月1日 500円硬貨出現、貨幣価値がますます下がる。
これはパチンコ屋の陰謀だ
々 58 1983 第一回「宇和島さんさ祭」はじまる(4月3日)8月23日 長野県で開催された高校総体で宇和島南校登山部女子、優秀校になる
々 59 1984 2月14日恵比寿町ロータリーが信号式五差路になる。3月18日 江崎グリコ社長誘拐される。グリコ・森永事件のはじまり。 紙幣デザイン切り替え、聖徳太子→福沢諭吉、伊藤博文→夏目漱石 4月30日 専売公社の民営化
々 60 1985 1月26日 城山南登山口に児島惟謙の銅像できる。しかし此処を通る子供たちはほとんど誰かしらない。今の学校教育がどのようなものか判るだろう。2月16日 異常渇水のため須賀川ダム干上がる。2月25日まで午前9時から午後4時まで時間断水。東映映画「瀬降り物語」の長期ロケが滑床を中心として行われる。中島貞夫監督 萩原健一 藤田弓子 内藤剛 野口貴史 ●8月12日日航ジャンボ機群馬山中に墜落。坂本九さんら520人死亡。(奇跡的に4名の生存者)城山南口に児島惟謙銅完成。 12月28日未明に大火、菊美ど里劇場消失す
々 61 1986 3月21日、内山線開通、予讃線宇和島〜松山間の時間が短縮される。(以降海岸回りの特急は姿を消すようになる)
々 62 1987 4月1日 国鉄からJR四国に変わる
4月2日 南予文化会館完成
7月17日 石原裕次郎氏死去(52歳)
7月29日 南高女子サッカー部全国優勝
7月31日 宇和島東高、夏の高校野球大会で初優勝。悲願の甲子園初出場するも、夢見ここちのなかで一関商工に3対0で敗退。しかしその後の甲子園常連校の時代が始まる。
10月19日 ニューヨーク株式22.6%暴落

々 63


 

1988 4月5日 春の選抜高校野球で宇和島東高、初出場・初優勝。上甲正典監督の率いる宇和島東高野球部は以後、春夏併せて11回の甲子園出場を果たした。創部以来苦節90余年の成果が花開く。監督の苦労はかなりのものでした。
「ガイヤ・オン・ザ・ロード」が宇崎竜童によって作られる。振り付けは、ピンクレディーの振り付けの土居甫。以降宇和島祭りの定番となる「うわじまガイヤ」はここに始まった。
平成 1 1989 4月1日宇和島市の人口が7万人をきる(3月1日・70404人、4月1日・69621人)
6月24日歌手の美空ひばりさん死去(52歳)
11月10日東西ベルリンの壁崩壊
平成 2 1990 日振島に悲願の通水。東宝映画「流転の海」のロケが行われる。斉藤武市監督 森繁久弥 野川由美子 佐藤浩市
々  3 1991 笹川久三・原作「四万十川」映画のロケが行われる。主演・樋口可南子、小林薫。バップ制作(サイン貰っちゃった)
々  4 1992 Jリーグ開幕 旧宇和島警察庁舎(その後西海町庁舎)が歴史資料館として、樺崎砲台跡近くにオープン
々  5 1993 3月26日宇和島道路(宇和島バイパス)高串〜朝日町開通
11月20日プロ野球ドラフト会議で、宇和島東高校、平井正史投手がオリックスから1位指名を受ける
々  6 1994 6月13日、内子町出身の大江健三郎氏がノーベル文学賞に選ばれる
々  7 1995 1月17日午前5時46分「阪神・淡路大震災」発生
宇和島市から水道局職員が給水支援活動に向かう
3月20日地下鉄サリン事件起きる
NHK新銀河ドラマ「婚約旅行」ロケが平浦、山下さんの自宅を開放して行われる。渡辺篤郎 室田日出男出演。
11月21日 国道320号柿原バイパスのうち柿原−丸穂開通
々  8 1996 1月7日宇和島大賞にパリーグ新人王に輝いたオリックス平井投手等が選ばれる
々  9 1997 10月1日JR路線バス宇和島〜日吉間廃止
々 10 1998 2月2日 郵便番号が5ケタから7ケタになる  3月20日柿原バイパス全線開通、宇和島道路、坂下津〜保田間開通 3月20日 地域振興券交付事業なるものが始まる。一回限りだった。
々 明治36年4月創立した市内最古の幼稚園「宇和島幼稚園」が閉園する。  4月2日宇和島駅ビル完成  
々 11 1999 3月27日 岩出山町と姉妹都市締結
5月16日 丸山球場でプロ野球初の公式戦(ウエスタンリーグ、オリックス−ダイエー)
々 12 2000 宇和島〜別府間のフェリー航路幕を閉じる
々 13 2001 2月10日ハワイ沖を航行中の宇和島水産高校実習船「えひめ丸」が突然浮上した米軍潜水艦に衝突され沈没、実習生ら乗員35名のうち9名が帰らぬ人となる
3月24日 安芸灘を震源とする「平成13年芸予地震」が発生。宇和島では震度5弱を観測する。管理人の家は、机の引き出しが飛び出してめちゃくちゃになった。
々 17 2005 4月10日 宇和島市最後の映画館が幕を閉じる

8月1日 新宇和島市誕生
 々    々 10月1日 この日を以て宇和島測候所が無人化をする。
大正11年4月15日愛媛県立松山測候所宇和島支所として、住吉山において気象観測を開始して以来、風雪83年の幕を閉じた。その間には、日本気象観測史上最高気温第二位、瞬間最大風速二位等を記録する。また、宇和島圏域最大の犠牲者を出した「デラ台風」や、降水量ゼロによる長期断水の記録など、気象災害の数々の数値的な記録以外の実地体験をした測候所職員にたいし敬意を表する。機械観測は数字だけの現象である。全国で毎年、鹿児島と競ってきた、桜の開花宣言をもう聞くことはないだろう。
 々    々 11月27日 宇和島名誉市民。岩村昇さん死去78歳
 々 19 2007 6月 二人の大宮隆さんが亡くなられた。
 々 20 2008

9月23日 プロ野球ソフトバンク監督王貞治氏が今期限りでの引退を発表。これまで多くの人の引退を見てきたが、王貞治氏のニュースを見たときには、初めて涙が出てきた。私をこれほどまで感動させたから、特別にここに載せる。
王さん本当にご苦労様でした。ソフトバンクのファンでもなんでもないけれど、広島カープを優勝に導いたあの山際淳司氏が書き上げた名作「江夏豊の21球」と同じくらいに感動した。
同じ頃、西予市出身・愛媛県では唯一幕内力士・玉春日引退を表明。

市立病院が新築オープン、市民に公開されたが、病室の外側が総ガラスの部屋があるらしい。見学に行った高所恐怖症の母はその部屋には絶対に入りたくないと言っていた。

 々 21 2009 7月5日 宇和島市と北海道当別町が姉妹都市締結
 々 26 2014 9月2日 元宇和島東高野球部監督・上甲正典君逝去
 67歳

国政調査における宇和島市の人口推移(10月1日)

年  次
西暦

世帯数

人 口

一世帯あたりの人口

男女比率

総数

男1.0
大正10年

1921

7,143

32,274

15,525

16,749

4.518

1.08
昭和15年

1940

11,470

52,101

25,036

27,067

4.542

1.08
 々 22年

1947

11,978

52,108

25,112

26,996

4.360

1.08
 々 25年

1950

12,574

56,570

27,431

29,139

4.499

1.06
 々 30年

1955

14,775

66,154

31,887

34,267

4.477

1.07
 々 35年

1960

17,108

68,106

32,216

35,890

3.981

1.11
 々 40年

1965

18,527

66,484

30,924

35,542

3.580

1.15
 々 45年

1970

19,879

64,262

29,467

34,795

3.233

1.18
 々 50年

1975

22,627

70,428

32,704

37,724

3.115

1.15
 々 55年

1980

23,996

71,586

33,357

38,229

2.983

1.15
 々 60年 

1985

25,180

71,381

33,276

38,105

2.853

1.15
平成 2年

1990

24,231

68,034

31,323

36,711

2.808

1.17
々  7年

1995

24,657

65,458

30,160

35,298

2.655

1.17
々12年4月1日

2000

-

63,495

-

-

-

-

◎大正10年は8月1日市制施行時       
◎昭和22年は臨時国勢調査(10月1日)   
◎平成12年は住民登録(広報から) 数値は四捨五入

総括・宇和島が市制を施行してから、着実に世帯数は増加しているにもかかわらず、人口は昭和55年をピークに衰退している。限れもなく核家族化の傾向が顕著に現れている。
一世帯あたりの人口は昭和25年には約4.5人いた。この計算で行けば、平成7年の人口は11万人を超えているはずになる。ことはそう単純な問題ではないけれど。
変わらないのは、宇和島では常に女性の数が男性よりも多いことである。とりわけ昭和45年には、なんと男の1.18倍もの女がこの宇和島にいたのだ。これはバブル期における、労働力としての男の市外への流出を現しているのだろうか。
宇和島は女性が多いから美人が多いと錯覚するのだろうか?心にもないお世辞を言ってしまった

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