伊豫宇和嶋藩・五岳堂学則

出羽の国浪人・伊藤瑞皐(高野長英)

(最初は読み方を書いていたけど、あまりに面倒なので自分で調べて)

【原文は総て漢文、よって誤訳があるかも】

一 西洋の古語に曰く、学問の道は、須(すべから)く雫(しずく)の石を穿(うが)つ如くせよ。之れ
夙夜黽勉懈ることなければ、遂に大成を為すべしとの謂(いわれ)なり。今それ西洋の書たる
や、その文字蟹行、其音鴃舌にして、語脈の連なる所、文意の繋がる所、前後錯雑、粉々と
して規律なきが如く然り。然れども其法最厳密、修理斉整、譬えば日月の行道を違えざる、星
辰の其位を失はざるが如きなり。故に朝に之を習い、夕に之を誦し、心を罩め思いを積め
ば、則ち鬼神も将に通せんとす。何の書か解すべからざんや。学者唯須く黽勉の二字をを守
るべし。もしそれ自暴自棄は、則ち吾徒にあらざるなり。

一 西洋の学に数等の科目あり。今之を数うれば、則ち其一支留刺別という、文字を綴り音
韻を生じ、言語をなす、読書の法を知るを以て初学の科となすなり。其二喀刺瑪知葛(←この
文字ではないがこれしかないので
)という。語の品類を分ち、衆分の基本を定む。語毎に門を分ち
之を解釈す。而して学者をして諸語の変化をなす所以を知らしむる科となす。其三を泄印多
幾斯という。文法の差別を挙げ、以て其体用を示し、諸語排列の順次を説き、以て語脈と文
意との連繋する所以を鮮やかになす。則ち諸語を布置し、衆文をなすの法なり。其四を魯細
伽という。挙げて神魂智慮の諸用に属す。これ自ら活発且敏疾にして、而して諸読に臨み其
説の当否を弁じ、其真偽を定め、且結文の法を立るの科なり。此を第一等の科となすなり。
凡そ西文を学ぶもの、此四科に通ずるにあらざられば、能く文を修めたりというべからず。然
れども之れ一時の勤学の得べき所のものにあらず。故に学者宜しく第一科より次第に進歩
し、歳月の久しきを積めば、必然その地位に列るべし。諸子倦怠の気を生ずる勿れ。

一 日々の学ぶ所の文は、宜しく先語脈よりして、而して其訳字を収拾し、湊洽し仮に我国語
に因て速かに其文意を補うの理も、亦自然融解す。これ両文を学ぶ一大捷経の法なり。学者
此業を怠る勿れ。

一 学事毎日辰より午に至り、午より以下夜に至るは、諸子写字復読等の時となす。但空間
尚余りあり、故に此間宜しく其訳字を集めて国語となすべし。

一 教授毎日辰より午に至る、飜訳午より酉に或は戌亥に至る。
  但し朔望佳節、必ず諸官に謁し、親友を訪う。故に欠の日となす。

一 毎月三の日を以て、休憩の日となす。故に諸子下顧を給わらば、冀くは此日に来臨あら
んことを。

一 官衙出頭、其他緊要の事あらば戸外に出でざらるを得ず、休憩の日といえども往往或は
亦此の如し。諸子下臨を給うとも不在の罪を咎むる勿れ。

一 室内に蔵する官本頗る多し。常に之を貴重し、日々照覧の間も、尚指頭の紙面に垢つけ
んことを恐る。且訳稿狼藉常に散して机辺に満つ、他見を憚るもの少しとなさず。故に社友と
いえども、他出の間漫りに入るを許さず。之をあう怪しむ勿れ。

嘉永元年五月

五岳堂主人

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