伊達五十七騎

宇和島伊達家御歴代事記

一 伊達家御歴代事記ヲ編集スル趣旨

  伊達家、伊豫國宇和島城地十萬石ヲ御拝領アリテヨリ、

  明治四年廃藩置トナリシマテ、年数二百七十余年間、

  朝廷エ御勤務・御上洛ヲ始メ、参勤・公役御勤ヨリ、

  御領地内ノ御政務・法令・文武・農工ノ奨励・勧誘・

  御吉凶ノ御規式・御役々ノ言行・著名ノ事蹟ニ至ルマ

  テ千條萬件、之ヲ後来ニ傳テ、以テ舊臣・舊御領民、

  子孫ノモノ永ク其由来ヲ聞知セシメントスルニアリ。

一 古今史誌ノ類ヲ編修著述スルモ、多ハ其文章ヲ自家ノ

  存分ニ節略ス。是ハ其学力ヲ顕ス為カ、部数ヲ減セン

  トスルカニアルヘシト雖、其文体ヲ簡略スレハ、其言

  行事跡ノ大体ハ見ルワ得ルリ雖トモ、詳細ノ処ハ見ル

  ヲ得ス。故ニ此事記ニハ、節略ヲ主トセス。其時代用

  来ル言語・文体ヲ其儘記スルヲ以テ、冗長ヲ免レス。

  且古記モ一定ナラサルモ改メス様、殿被仰出被仰付、

  被進等ノ言語・文字ハ漢文ニ記スルトキハ、其差別モ

  立カタシ。然ルニ是等ニハ、尊卑軽重種々ノ別アリ。

  真草ノ書法ニヨリテモ軽重ノ違アリ。故ニ其実際ヲ失

  ハサルヲ主トスルナリ。

一 廃藩ト成シヨリ、未十余年ナルニ、世体・人情ノ軽躁

  浮薄トナリ、其本ヲ失却遺念スル風習トナリシハ、実

  ニ驚嘆スルナリ。世体人情ノ軽浮ニナリシハ、別ニ其

  原因アレトモ、ココニハ主論ナラサレハ、コレヲ記サ

  ス。間ニハ舊政ヲ誹論スルヲ是トシ、其身今日寒暑飢

  餓ノ憂ヲ免ル、基本タル、舊君ノ恩誼ヲ思ハス。今日

  ハ同権トカ唱フル状躰、我祖宗ハ如何ナリシカモ反省

  セサル向モアリテ、云ニ忍ヒサル事多シ。依テ其家祖

  出身ヨリ代々ノ事跡ヲ始メ、家格勤務職役ノ軽重、忠

  孝節義、著名ノ言行ヲモ附記スルモノナリ。

                  

                  得能亜斯登

 

 

 

秀宗様御子      左京様御子

  左近様      御早世 卯之松様

  左京様          於千様

  於菊様

  於万様

  鶴松様

  菊松様

 

御脇腹

  宗利様

  刑部様

御別腹

  宮内様

  於清様

御別腹

  於松様

  民部様

  左衛門様

 

宇和島伊達家御歴代事記

 

(付箋)(御系図之処原書甚錯雑シ猶疑惑多シ訂正スヘシ)

    朱書き 御記録ニハ柴田郡トアリ

(付箋)(御系図ニ関スル事柄御系図ニ明瞭ナル朱文禄四年乙未

     秀頼公参内ノ節御供奉ヲ以テ荒々記載ス年月等ノ処ハ

     猶訂正ヲ加エ可申考ニ御坐候)

    朱 御母飯坂氏吉岡局トアリ

 

   御初代

遠江守様藤原秀宗公 仙臺中納言政宗公御長男

一、天正十九年九月廿五日、奥州苅田郡雀宮ニテ御誕生。御童名

  兵五郎。御母政宗公御妾。同年苅田郡岩手山ヲ改山城ニ、家

  康公御縄張アリテ、即政宗公御居城トナル。

一、文禄三年、兵五郎様ハ上方江御登有、伏見城江御登城被遊、

  秀吉公江御目見被遊候。

一、慶長元年四月、於聚楽御元服。御六歳ニテ被任従五位、秀之

  字御拝領。此時ヨリ秀宗ト御名乗リ、秀吉公ヨリ白梵天御馬

  験・大熊毛鑓御拝領被遊候。

一、同七年、関ヶ原陣落着後、於伏見初而家康公江御目見被遊候、

  此年伏見ヨリ江戸江御下ニ相成。是ハ本多上野介政信御證人

  相入旨、家康公御内命、政宗公江相達、依之為御證人、秀宗

  様江戸江御下被遊、政宗公ヨリ八重洲川岸御屋敷ヲ、秀宗様

  江被進、御家来御人分有之、其家々人名如左。

               

                 内崎 越後

五百石 御入部前ニ江戸ニテ死ス  粟野 豊後

三百石              草苅縫殿助

二百石              富田 肥前

    江戸ニテ死ス       鯨岡雅楽助

    江戸ニテ死ス       同  主膳

    御入部前江戸ニテ死ス   古田喜左衛門 

二百石              大石 備後

二百石              二宮次右衛門

百五十石             加川助左衛門

                  飯淵馬之助

二百石              黒澤與左衛門

二百石              鈴木源兵衛

二百石              富田 主計

右之衆ヨリ前二十騎、御附之侍有テ、今度代リテ被為附。

前ヨリ残ルハ粟野豊後計ナリ。

一、秀宗様御側御小姓衆

                 須田 隼人

三百石              舞柳 主馬

三百石              小関 采女

四百石              宍戸彌左衛門

二百石              鈴木 内記

 〃               大和田仁平治

 〃               甲斐 織部

 〃               高橋九右衛門

三百石              神尾 半治

二百石              白石與右衛門

 〃               飯淵 長蔵

                 伊藤 典膳

二百石              鈴木 右京

                 高橋左源太

二百石              遠藤太左衛門

 〃               鈴木治兵衛

 〃               大内七九郎

百八十石             諏訪八十郎

二百石              安藤所左衛門

                 飯淵 才三

                 安代新三郎

                 柳田新左衛門

                 佐藤 小吉

                 船山 惣吾

                 星 加平治

                 柳島茂兵衛(ママ)どう考えても柿島だと思う

                 櫻田山三郎

                 赤井平左衛門

                 二宮久左衛門

右ノ面々ハ、漸々ニ御人増ニ相成タルモノニテ、一時ノ御附ニ相成

タルニハアラス。御内室様ノ御附人モ此内ニアルナリ新ニ被召抱タ

ル人モアリ。

一、前御附人ノ内ニテ、後々マテモ相残リアル家ニハ、粟野・黒澤・

  鈴木ノ三家、草刈・山家等ハ、名跡ニテ相存ス。

  (管理人注・ここまで山家の名は一度も出ていないが、何故か

   突然、ここに出てくる。という事はそれまでの文書の中には

   山家姓が出てきたが抹消されていた事が考えられる。別な文

   書においても、山家清兵衛の名が朱で線引きされているもの

   がある)

一、古記 秀宗様伏見江御登リハ、秀吉公人質證人之為ニ御召寄之

  ト雖、其御取扱ハ中々人質杯之御扱ニアラス。御一字拝領、御

  幼年ニテ従五位ニ被任御首尾、残ル處無之、常ニ秀頼公之御伽

  ニテ、別段之御寵遇ニ御坐候。

一、同十三年、将軍秀忠公ヨリ松平姓ヲ政宗公御拝領被遊候ニ付、

  秀宗様ニモ松平姓ヲ御名乗有ヘキ処、秀宗様ニハ深キ思召アラ

  セラレ、矢張伊達姓ヲ御改無之候。此年、大御所様御命ニテ、

  井伊兵部少輔直政様御娘御縁約御坐候。

一、同十五年、秀宗様御婚姻相済。

一、同十七年九月七日 御嫡男御誕生 御童名千松様 後左近太夫

  宗實ト御改名ニ成ル

一、同十八年四月廿二日 秀宗様御母卒去 御戒名龍泉寺殿心月妙

  圓大姉空尼

一、同十九年 大坂冬陣ニ 政宗公ト御一所ニ木更今宮之攻口御受

  持被遊 是ヨリ先十月七日 大御所様ヨリシテ 政宗公江御自

  書参リ 依而政宗公ニハ 同十日仙臺御出馬 同十六日江戸江

  御着 同十七日御登城ニ相成 秀忠公ヨリ伊達人数第一ニ押可

  申旨 於御城御軍令 御黒印御渡ニ相成 秀宗様ニハ江戸より

  御出陣 政宗公江戸ニ御一宿 片倉小十郎御先手被仰付 伊達

  安房御跡備被仰付 東海道御登ニ成 美濃路御押 宇治江御着

  之頃漸ク御人数相揃候而 總勢六万餘ニ御坐候

一、宇治ニテ御本陣 政宗公ハ上林牛加宅 秀宗様ニハ橋本玄徳宅

  宇治ヨリ河内國安川原江御着陣 一夜野陣ニテ高安ヨリ住吉迄

  御出馬 一夜御滞陣被遊候 政宗公 住吉江御著(着?)馬之

  日迄 家康公ニハ住吉御在陣ニテ 夫ヨリ茶磨山江御移被遊、

  其跡江御在陣ニ相成候

一、仙臺御人数 御持口ハ道頓堀ヨリ天王寺迄 是木津今宮表ナリ

一、總御人数七備

          一圓居         伊達 安房

          一圓居         石川 民部  

          一圓居         伊達 左近 

          一圓居         片倉小十郎  

          一圓居         御 旗 本 

          一圓居         秀 宗 様

          一圓居         不   詳

  總御銕(鉄)砲数壱萬挺餘

  秀宗様御人数 馬上五十騎 御銕砲貮百挺 御物頭四人

                      前田 兵部

                      戸沢大炊之助

                      荒井 左京

                      大山 勘兵衛

一、同年十一月 関東大坂御和睦ニ相成 同月廿九日 秀宗様 秀忠

  公江御目見被遊候テ 種々厚御諚有之 豫州宇和島丸串城地十万

  石 藤堂和泉守江御預之分御拝領被遊候 政宗公ヨリ山岡志摩重

  長ヲ以テ 二條御城江御禮被仰上 家康公 重長ヲ御前江被召出

  政宗公御大ニ被思召旨上意有之 政宗公 秀宗様共 其年ハ大坂

  船場御陣所ニテ御越年被遊候 

一、元和元年乙卯正月

           (付箋)

   (同年正月廿四日、御次男御誕生 御童名 伊与松様)

  秀宗様御上京被遊候而 将軍江城地御拝領御禮被仰付 此時重臣

(付箋)「元和元年正月 伊達家御役人     櫻田 玄蕃

     宇和島ヘ下リ 先御城地受取     小川 出雲

     正月廿七日 御城引渡在之 」    井上 伊勢

  御目見御禮申上ル

 

  政宗公ヨリ御城地御拝領ニ付被為附候御家来五十七騎ハ左ノ通

  (管理人注・五十七騎には様々な説があり、文書によってその

  名前がことなっている。)

    千五百石               志賀右衛門

    千石                 山崎 隠岐

    千九百石               櫻田 玄蕃

    千石                 尾川 肥前

    三百石                柳沢 備前

    二百五十石              秋保 對島

    不届之義有之 子文八共切腹被仰付   有加部因幡 

    二百五十石              桑島 将監

    三百石                永沼 民部

                       脇谷少右衛門

    三百石                生駒 兵庫

                       大和田右馬之允

    三百石                堀池左太夫

    二百石                佐瀬傳右衛門

    二百石                豊間源七郎

    百八十石               船山 刑部

    二百石                葛西左馬之助

    八百石                渡瀬太郎兵衛

                       狩野久四郎

                       守屋 惣七

    二百石五十石             大童 彌市

    二百石                鴇田清十郎 

    三百石                長沼惣五郎

    二百石                大和田五郎左衛門

    二百石                堀江 越中

    二百七十石              野間善左衛門

    五百石                川越三郎兵衛

    二百石                河原吉右衛門

    二百石                荒川五平治

    二百石                後藤喜太郎

    二百石                片倉 采女

    二百五十石              舞柳 對島

    二百石                村岡 監物

    二百石                小関 宮内

    二百石                峯 金太郎

    二百石                井上 五助

    二百石                大津 左吉(大澤?)

    二百石                今泉長三郎

    二百石                遠藤善右衛門

    三百石                鬼生田内記

    二百石                常葉 信濃

    二百石                櫻田久左衛門

    二百石                田勢助八郎

                       小柳川十蔵(小簗川?)

    三百石                山内久右衛門

    三百石                和田源太夫

        七百五十石              久徳 兵庫

                       濱尾九平治

    三百石                小間木根主膳

                       朽木 大學

    八百五十石              三浦半左衛門

    二百石                富澤新左衛門

    三百石                清水 茂兵衛

    五百石                塩谷甚左衛門

                       増川 讃岐

    三百石                原田三郎右衛門

                       大原小左衛門

 同時於大坂御附衆 竝ニ御召抱之衆 御入部御供

 元和元年 於大坂 柳生但馬守殿御肝煎ニテ

 宇和島案内之旨ニテ二百石被召抱       大江六左衛門

 元和元年 於大坂 山家清兵衛肝煎ヲ以

 御小姓ニ被召抱               松下 求馬

 元和元年 於大坂 本多佐渡守殿肝煎

 ヲ以被召抱 三百石被下置候         松岡彦右衛門

 本國大和 元和元年 柳生但馬殿肝

 煎ヲ以被召出 三百石被下置候        朝倉内蔵之助

一、政宗公ヨリ内崎越後代リトシテ被為附

    千石                 山家清兵衛

 同年二月 宇和島江御下向ニ付 御船頭衆被召抱 左之通リ

 富田信濃守殿浪人 山家清兵ヱヨリ申通シ

 宇和島ヨリ水主召連罷登リテ 於尼崎御目見 

 御召船御船頭被仰付             木瀬六之進

 本国阿波 於大坂御船頭被仰出        宗田藤左衛門

 本国讃岐 於大坂御船頭被仰出候     

 粟野豊後ヲ以御礼申上ル           宮本惣右衛門

 本国淡路 池田武蔵守殿浪人 元和元年宍戸

 彌左ヱ門・甲斐織部申次ヲ以御船頭被召出   前田善左衛門

 富田信濃守浪人 於尼崎

 御船頭被召出                村田藤右衛門

 福島左衛門太夫御浪人 元和元年

 於尼崎御船頭被召出             野村源太郎

 本国豊後 元和元年 粟野豊後

 申次ヲ以御船頭被召出            高月小左衛門

 元御譜代 秀宗様伏見御登リ之時ヨリ

 御附御供 備後中納言江御預之節モ只

 壱人ニテ御附添罷在今度 御初入御供     真柳 主馬

 井伊様ヨリ御附入御入部御供         志村権左衛門

 

同時 中之間ニテ御供名元相分居ル面々左之通リ

                       武田源右衛門

                       田手杢之助

                       松枝 半治

                       梅林平左衛門

                       山村伊兵衛

                       矢島分九郎

        御綾行            伊藤加兵衛

                       加藤 蔵金

                       猪股左兵衛

  櫻田玄蕃寄騎之士左之通リ

        五十石            草野 帯刀

                       岡 七郎兵衛

                       片岡傳兵衛

                       木村兵右衛門

                       里見左兵衛

                       稲垣長左衛門

一、同年二月 御拝領地宇和島江御初入被遊候ニ付 播州尼崎ヨリ御乗船

  被遊候 此時之御船 宇和島ニ有之 富田信濃守ヨリ差残ニ相成在之

  御船 御迎ニ乗登ル 依而前々ヨリ御附之侍始五十七騎 其外御近習・

  御小姓・御召抱之侍 中之間・御徒衆・御大所・御坊主・足軽・御雑

  人共一同御供スル 尤御先江下リ諸事取計候而 御城地受取候御役人

  有之 又江戸江御差残之向モ御坐候

  同年三月十六日 伊与國大洲長濱江御着船 同十七日 宇和松葉町御

  泊リ 同十八日 丸串城江御着被遊候 是ヨリ先々尾川出雲始メ其外

  御役人罷下リ 丸串城代藤堂家之侍大将藤堂新七ヨリ御城並ニ十万石

  之諸帳面村高石高類帳面受取 侍分屋敷割ヲ相定 御待被致候

一、宇和郡丸串城ハ 西園寺持 天正十一、二年迄 西園寺宣久住 四条

  院御宇嘉禎年中ニ西園寺實氏ニ賜リ 永和二年 公良始テ下向 黒瀬

  城ニ居住 旗下之城都合十四城アリ 丸串モ其内ナリ 永禄年中 長

  曾我部元親 宇和島ニ乱入シ 西園寺旗下之諸城ヲ下シ 丸串城モ元

  親之属城トナリ 元親城代

                       吉良 左京

一、天正年中 小早川隆景渡海シ 元親属城ヲ攻落シテ 小早川之城代

                       持田 右京

一、天正十五年 大洲・宇和島十六万石拝領

                       戸田民部少輔

一、文禄三年 民部少輔病死シテ城被召上 藤堂和泉守 宇和島・大洲・

  今治ニテ貳拾万石拝領 慶長七年 藤堂家ニテ検地コレアル 同十三

  年藤堂和泉守伊勢ヘ國替ニ相成リ 跡 富田信濃守拝領 同十八年富

  田信濃身上被召上 城地藤堂和泉守江御預ニ成城代

                       藤堂 新七

一、丸串城

  天主方角戌亥向土臺ヨリ高サ七間

  追手東向搦手南向両口ナリ 山高三十三間程 所ニヨリ高下コレアル

  本丸 二之丸 三之丸

一、總郭廻リ   拾六町餘

一、物狭間数   千五ツ

一、丸之内侍小路 拾参町餘

一、櫓数

一、城内外番所  貳拾ヶ所

一、城附武器並金銀米穀在高ハ詳ナラス

一、侍屋敷貳百五拾軒餘

一、田畑物成十七郷二百七十三村

  本高拾万二千百五十四石三斗八升六合 並ニ九品小物成等諸帳面

  末進高附等ハ繁雑ニ付略ス

付箋(丸串城附武器左之通リ

   御銕砲之間

   一 銕砲 六拾挺          一 弓  六拾貳張

   一 胴乱 百            一 玉薬箱  貳拾

   一 火縄 六拾貳把         一 矢 三百八十三筋

                       内三筋根ナシ

     うつほ之間     

   一 うつほ五拾参本  内四本益なし 一 矢 四百五十筋

     次うつほ之間

   一 うつほ貳拾五本         一 矢 百筋

一、秀宗様 時ニ御歳二十五歳 御政務向諸事舊法ニ従テ御取行有之

  山家清兵衛 諸事總奉行シ 御大老之如ク 御政務・御仕置、重

  役四五人ニテ取扱ニ相成

一、御着城後 猶追々御家来被召抱

  木下淡路守殿浪人間宮綱五郎

  肝煎ヲ以被召出 五百石被下置       古谷九太夫

  富田信濃守殿浪人 元和元年

  被召出 四百石被下置           梶田権兵衛

  本多中務殿浪人 柳生但馬守殿

  肝煎ヲ以 元和元年被下出         戸田藤右衛門

一、同年夏 左之面々御跡ヨリ下着

    御一門秀宗様御後見之旨 知行高七千石

                       桑折左衛門殿

    二百石                朽木 大學

    八百五十石              三浦半左衛門

    二百石                富澤新左衛門

                       神主 玄蕃

    二百八十石              清水茂兵衛

    五百石                塩谷甚左衛門

                       柳澤 備前 

                       尾川 采女

                       今泉 外記

                       片倉 丹後

                       朽木 肥後

                       津井 数馬

                       駒木根伊織

                       小簗川式部

                       中川左馬之允

                       塩谷 内匠

                       原田 内膳

                       島内三木之助

                       荒井次郎兵衛

                       小原三左衛門

                       荒川五兵衛

                       朝倉六兵衛      

                       柳沢 七蔵

                       永沼四郎兵衛

                       大童勝右衛門

                       狩野九兵衛

                       沼野善右衛門

                       豊門覚兵衛

 右之面々ハ、御供之筈之處 色々訳有テ 御跡ニ相成罷下ル

   中略

一、同五年己未 今年三万石御分御代官 和田源太夫・矢部理左

  衛門被仰付 宇和島市ハツレ北口江仙臺御役所相立 

(管理人注・秀宗は宇和島に来る際父親伊達政宗より工面しても

らった諸経費を、毎年三万石を返済するという約束になっていた。

今、ここでは記載していないが、この返済方法なども山家清兵衛

が勝手に決めた事だというようなことが強調されている。ここの

三万石というのはそのことだと思われる)   

【付箋】

    寛永五年 網代主悦御加増 都合四百石ニテ江戸被仰付

【付箋】

    元和五年 山家清兵衛死ス 峯金四郎 山家一件ニ付切

    腹 小間木根主膳 同事件ニ付出奔ス 渡瀬太郎兵衛モ

    出奔ス

【付箋】元和五年 大坂御城御普請御手傳被仰蒙 御普請奉行

    櫻田玄蕃 同十年相済

(管理人注・山家清兵衛が暗殺されたのは、元和六年六月晦日で

ある。これは必ずしも「みそか」=三十日とは限らない。晦日で

も小の月は二十九日の場合もある。和霊宮記によれば、暗殺され

た日は二十九日と伝えられ、多くの伝承でもその説が伝わり、命

日が二十九日と云われているが、最近調べてもらったら、この元

和六年は四、五、七、八、九月は小の月で、六月だけが三十日で

ある。

これがすぐに三十日説の根拠になる訳ではないが。晦日と伝えら

れている命日は二十九日ではなく三十日が正確な日ではないかと

思われる。また、御歴代事記ではあたかも大坂城普請の前に清兵

衛が亡くなったような書き方をしているが、この城普請が、櫻田、

山家の対立を決定的なものにしたと云われている。峯金四郎は別

な文書では「清兵衛内儀ノおい御成敗」という文字も見つかって

いる)

 

一、同七年辛酉五月十五日 三万石分御代官 塩松清左衛門・和

  田源太夫 元和五年諸士分限帳 此外相漏候モ可有之 相分

  居候分

               朱 千九百五十石ナルヘシ

  七千石   桑折左衛門    千七百五十石 櫻田 玄蕃

  千 石   山崎 式部    千五百石   志賀右衛門 

  千 石   山家清兵衛    千 石    尾川 肥前

  八百石   渡瀬太郎兵衛   八百五十石  三浦半左衛門

  七百五十石 久徳 兵庫    五百石    粟野勝右衛門

  五百石   塩谷 内匠    五百石    川越二郎八

  四百石   大猶 理菴    四百石    梶田権兵衛 

  四百石   大江六左衛門  三百六十石三斗四升 山内久左衛門

  三百石   原田 内膳    三百石    柳澤 備前

  三百石   大石忠兵衛    三百石    佐藤 隼見

  三百石   真柳 主馬    三百石    飯淵 主馬

  三百石   神尾勘解由    三百石    今井馬之助

  三百石   朝倉六兵衛    三百石    堀池左太夫

  三百石   松宮 主膳    三百石    和田源太郎

  三百石   駒木根伊織    三百石    生駒 数馬

  三百石   二坂藤左衛門   三百石    草 茂右衛門

  三百石   林 勘兵衛    三百石    小関 長門

  二百石   岡 重太郎    三百石       凉菴

  二百五十石    中菴    二百石    葛西三九郎

  二百石   赤井平左衛門   二百石    甲斐 織部

  二百石   安代佐五郎    二百石    増川小七郎

  二百石   柿島茂兵衛    二百石    志村権右衛門

  二百石   朽木 大學    四百石    宍戸彌左衛門

  二百石   二宮治右衛門   二百石    井上 五助

  二百二石一斗三升二合

           光天    二百石    松木 肥後

  二百石   鬼生田主計    二百石    大内覚左衛門

  二百石   太田 蔵人    二百石    鈴木治兵衛

  三百石   金田 壹岐    二百石    鈴木勘兵衛

  二百石   鈴木 衛士    二百石    黒澤與左衛門

  二百五十石 桑島 主馬    二百石    豊間 源吾

  二百石   脇谷少右衛門   二百石    村岡徳千代

  二百石   遠藤太左衛門          大澤 右近

  二百石   白井久三郎           小関 宮内

  二百石   常葉 信濃           郷六久三郎

  二百石   小簗川庄七           佐藤傳右衛門

  二百石   國安十太夫           永沼四郎兵衛

  二百石   有壁 因幡           荒川五兵衛

  二百石   安藤所左衛門          高橋九右衛門

  二百石   富澤新左衛門   二百石    遠藤善左衛門

  二百石   桜田久左衛門   二百五十石  野間甚太郎

(後)二百石  後藤三郎右衛門  三百五十石  堀江 越中

(前)二百石  富田 主膳    二百石    今泉伊右衛門

  二百石   大石 備後    二百石    秋保 丹治

  二百石   鈴木 右京    二百石    峯  右近

  二百石   富澤久次郎    二百五十石  清水茂兵衛

  二百石   川原吉右衛門   二百五十石  田川十左衛門

  二百石   荒川治兵衛    二百石    矢部平右衛門

  二百石   中川左馬之助   二百石    片倉貞次郎

  二百五十石 真川 對島    二百五十石  富田権四郎

  百七十石  佐佐木求馬    百三十石   船山庄左衛門

  百七十石  柳田 三平    百七十石   佐藤 勝六

  百三十石  鯨岡 源蔵    百 石    後藤 源蔵

  百五十石  可川 徳松    百七十石   船山権之助

  百七十石  諏訪 主水           斎藤 蔵人

  百八十石  柳田新右衛門          原田 殿助

  百七十石  櫻田 喜膳           鈴木 梅松

 右之外、御扶持切米之衆百五十人

 御目付衆

  七人分 十石 梅津八左衛門  四人分 五石 原田學右衛門

  四人分 五石 田手杢之助   四人分 五石 安藤十左衛門

  四人分 五石 大塚 作助

  

 

  次に続く 

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