宇和島伊達家御歴代事記 続

(管理人注・宇和島藩では、藩士の途中採用を多くしていると聞く。

ここにはそれを物語っている記録がある)

 御入部以後、今年迄ニ追々被召出 知行・御扶持被下候面々左之 通り。

 漏レモアルヘシ。

 元和三年御所望ニテ御小性被召出 五人分七石被下置   伊藤九左衛門

 本國宇和島 元和四年被召出              宮川金右衛門

 元和五年御小性被召出                 多澤宇右衛門

 元和六年御小性被召出                 三瀬長右衛門

 富田信濃守浪人 元和元年 御大所頭被召出       三宅段之允

 元和六年御馬乗被召出                 角田彌五右衛門

 本國山城 元和七年御小性被召出            大森忠左衛門

 元和七年被召出                    中垣猪兵衛

 本國備後 元和二年被召出 中之間           藤井七右衛門

 本國土佐 元和二年中之間被召出            徳弘五兵衛

 富田信濃守浪人 元和二年中之間被召出         松田與八左衛門

 元和五年中之間被召出                 武井左馬之允

 元和七年仙台ヨリ被召出                黒澤五郎兵衛

 元和三年御徒行御算用方被召出             古田與左衛門

 政宗公御意ニヨリ 元和三年宇和島ヘ被召出二百石被下  山内八左衛門

 本國芸州 元和二年被召出               龍波善右衛門

 本國美濃 織田家浪人 元和三年 野村御本陣ニテ    林 七郎兵衛

 筋目名元蒙御尋 同五年御料理方被召出       

 本國大坂 元和七年御料理方被召出           蟻岡甚左衛門

 本國仙臺 元和六年被召出               須藤三郎右衛門

 富田浪人 元和二年 御鷹匠被召出           小川善右衛門

 元和元年 御鷹匠被召出

 

中略

 

一、寛永八年辛未正月廿二日 以奉書被為召 山里於數寄屋 御茶拝味被

 遊 秀忠公 御手前 同時 御拝味之御方

                   松平中務大輔様

                   松平石見守様

                   宗 對島守様

                   此  方 様

                   生駒壱岐守様

                   藤堂大學頭様

                   加藤式部少輔様

 中略

 

一、寛永壬申正月 秀忠公御他界 同二月 家光公ヨリ御遺物トシテ 白銀

 貳千枚御拝領被遊

 中略

一、同(寛永)十四年十月 肥前島原一揆ニ付 上使御用船五十艘 水主

 御船頭共千二百十四人被立御用立 尤飯米ハ公儀ヨリ御渡相成 松平伊豆

 守様・戸田左門殿御越ニ付 為御見舞使者 梶田権兵衛 御足軽一組召連

 被遺 後又 今泉與惣左衛門 御足軽一組召連テ被遺 同十二月 御見舞

 使者ヲ以テ御肴被進

【付箋】寛永十四年 島原一揆ニ付御城御用心トシテ 山崎式部 御城段右

    衛門丸詰被仰付

 中略

 同十五年二月 一揆落城

 同年五月 右京亮様御下向 御年廿四

中略

一、同二十年癸未 御女子様御誕生 御名御幾与様 早速井伊靭負様江御養

 女ニ御越相成

  同年 目黒之御屋敷 名主織部方ヨリ當分御借被成 坪数五万貳千三十

 二坪

 同年迄ニ、元和八年ヨリ追々ニ被召出候御家来 左之通り

  本國大和高取 寛永十九年被召出 三百石被下置候   松田六郎兵衛

  古田織部殿浪人 寛永六年被召出 二百石被下置    加幡善兵衛

  生國武蔵 江戸十二歳ニテ被召出 二百石被下置候   大関勇之允

  富田信濃守浪人 寛永三年被召出           梶田又兵衛

  一柳監物殿浪人 寛永十三年被召出 二百石被下置   加藤市右衛門

  松平下總守殿浪人 寛永十二年被召出      勅使河原与一左衛門

  本國備後 寛永十二年於京都被召出          尾田又右衛門

  毛利摂津守殿浪人 寛永九年被召出          梶田市郎左衛門

  寛永九年被召出 三百石被下置            味木十郎左衛門

  京極若狭守殿浪人 二百石被召出           中井九郎左衛門

  寛永十七年 奥小性被召出              今橋猪兵衛

  本國當地 寛永十三年被召出             中川忠兵衛

  本國甲州 寛永三年被召出 二百五十石被下置     小野寺兵太夫

  本國甲州 寛永十九年御小性被召出          岡谷兵太夫

  脇坂中務殿浪人 寛永十五年被召出          曽原清左衛門  

  鳥井右京殿浪人 寛永十五年被召出          國安太郎左衛門
   管理人注・この國安太郎左衛門の名前が五十七騎(元和元年伊達秀宗と随行したと言われている)の中に載って

   いることに疑問を覚える)全くの同姓同名だったのか

  松平宮門殿浪人 寛永五年十一歳ニテ被召出      高月半左衛門

  二百石被下置

  米津清右衛門殿浪人 寛永五年被召出         金原彌右衛門

  最上出羽守殿浪人 寛永五年被召出          里見才兵衛

  土井大炊頭殿浪人 寛永十三年 宍戸弥左衛門御取次  里見與五右衛門

  ヲ以被召出

  寛永十一年 宍戸弥左衛門御取次ヲ以被召出 二百石  荒木八郎左衛門

  被下置

  寛永三年 御小性被召出               安藤七兵衛

  寛永十年 江戸ニテ被召出 三百石被下        上田九左衛門

  寛永十年被召出 御合力米百五十俵被下        原 権平

  寛永二十年 宗時様御所望ニテ 仙台ヨリ御貰相成   佐藤 孫助

  御鷹方被仰付

  堀尾山城守之殿浪人 寛永十年 元泉庄太夫肝煎ニテ  梶原 久助

  被召出

  堀丹後守殿浪人 寛永十五年 大小性ニ被召出     山田七右衛門

  百五十石被下置

  寛永十五年 仙臺ヘ御所望御貰被成被召出       日野彌右衛門

  寛永十一年 御近習被召出              久徳七兵衛

  鳥居右京殿浪人 寛永十五年 御小性被召出御仕着   戸田重次郎

  寛永十三年被召出 百五十石被下           岡谷又右衛門

  寛永二年被召出 二百石被下置            丸山 道意

  寛永十六年 御近習被召出              服部安右衛門

  御前様局ニ養子ニ被召出               荻原仁左衛門

  元京都 寛永九年 於伏見被召出 三百石被下置候   山田 見益

  於京都被召出                    丸尾 清菴

  本國長州 寛永九年 江戸ニテ被召出         吉見 玄良

  寛永十四年被召出 二百石被下置           常山 為三

  本國京都 寛永六年被召出              大石 春伯

  寛永五年 被召出                  惣村 下菴

  本國宇和島 寛永五年被召出             小波新九郎

  本國宇和島 寛永年中被召出             浅野長兵衛

  本國京都 寛永十五年御小性被召出          山本金太夫

  本國京都 慶長十九年 於京都被召出         稲井 仲菴

  御入部御供 寛永年中三百石被下置

  本國宇和島 寛永六年被召出             三輪 清助

  松平因幡守殿浪人 寛永八年被召出          松宮吉兵衛

  本國宇和島 寛永九年被召出             宮崎 左吉

  本國宇和島 寛永十七年 須田隼人取次ヲ以被召出   三浦瀬兵衛

  本國信濃 寛永六年被召出 二百石          仁科仁右衛門

  本國山城 寛永三年被召出 二百石被下        渡邊助太夫

  寛永七年被召出 三百石被下置            横山勝左衛門

  本國美作 寛永七年被召出 二百石被下置       梶谷 林蔵

  本國宇和島 寛永七年被召出 二百石被下置      檜垣助三郎

  仙臺ヘ御所望ニテ罷越 三百石被下          浅野  洞

  本國土州 寛永十三年被召出             松末杢兵衛

  元和年中 御徒行間被召出              告森二九蔵

  福島左衛門太夫浪人 寛永三年 中之間被召出     小木藤右衛門

  寛永七年 中ノ間被召出               宮崎九右衛門

  本國紀州 寛永九年中ノ間被召出           杉山孫兵衛

  寛永十年 中ノ間被召出               永井理左衛門

  寛永十三年 御徒間被召出              吉田作左衛門

  本國仙臺 寛永十四年 中之間被召出         武田仁右衛門

  仙臺御譜代 寛永四年 中之間被召出         小関利右衛門

  寛永十五年 中ノ間被召出              中川四郎兵衛

  本國美作 寛永十四年 中之間被召出         今橋 九蔵

  稲葉淡路守浪人 寛永十六年 中之間被召出      村田彦之進

  数代浪人 寛永十六年 中之間被召出         法華津茂右衛門

  本國會津 伊勢縁ニ寄 寛永十六年 中之間被召出   井上次郎兵衛

  仙臺江御所望ニテ被相附               東海林九之左衛門

  寛永年中之間被召出                 小川又兵衛

  寛永十四年 御小性被召出              今泉加兵衛

  寛永二十年 中之間被召出              沼田 源六

    以下御歩行

  寛永三年被召出                   川口藤右衛門

  寛永五年被召出                   中村平太夫

  寛永六年被召出                   木村傳兵衛

  寛永八年被召出                   大澤嘉左衛門

  寛永十四年被召出                  齊 小左衛門

  寛永十四年被召出                  西田平右衛門

  寛永五年 御算用方被召出              吉田三郎兵衛

  寛永十年 御算用方被召出              岡 正右衛門

  寛永十四年 御算用方被召出             岩木勘之允

  本國土佐 寛永十四年 御算用方被召出        藤好市右衛門

  本國伊勢 寛永十八年 御算用方被召出        辻】理左衛門

  本國宇和島 寛永十六年 御算用方被召出       水地理左衛門

  本國宇和島 寛永十六年 御算用方被召出       北川 勘平

  本國日向 寛永廿年 御算用方被召出         山村五左衛門

  松平因幡守殿浪人 寛永十八年 虎之間被召出     山本吉左衛門

  本國加洲 寛永二十年被召出             堀江平兵衛

  寛永十二年被召出                  幕内左馬之允

  富田信濃守浪人 御鷹匠被召出            関 九郎兵衛

  寛永六年 御鷹匠被召出               川口金右衛門

  寛永二年 御鷹匠被召出               池田新兵衛

  寛永十五年 仙臺ヘ御所望ニテ罷越ス         安達 甚治

  仙臺ニテ殿様部屋栖ヨリ被召出            鈴木甚九郎

  土州浪人 寛永十八年 御鷹匠被召出         横川伊兵衛

  寛永十九年 御鷹匠被召出              関 新十郎

  本國土佐 寛永年中御大所被召出           森田與左衛門

  寛永九年 御臺所方被召出              青木久兵衛

  寛永十一年 御茶道被召出              休 加

  寛永十年 御茶道被召出               長 圓

 以下 後七騎ト唱フル家柄

  寛永二十年 仙台ヘ御譜代之侍御所望ニヨリ 仙臺   大内源左衛門

  ヨリ被相附

  知行高二百石

  右同断             松本作右衛門

  右同断             小島左馬之允

  右同断             寺坂吉之助

  右同断             上野彌治右衛門

  右同断             原田左太夫

  右同断             橋本甚左衛門

 同年四月廿五日 上使松平和泉守様ヲ以 御國元ヘ御暇被仰出

      白銀二百枚  御時服二十 御拝領

一、正保元年甲申 宇和島向新町築地組家建始ル

     中略

  同年 秀宗様御下向之節 御供之侍 河原十郎左衛門 大坂ニ於テ船方

  之者ト口論ニ及 十郎左衛門 即日切腹被仰付 検使片山市兵衛 魚住

  久兵衛 此方様ヨリ中村長右衛門罷越 大坂寒山寺ニテ切腹

一、同二年乙酉 御参府被遊 三月廿二日御着府 是ハ昨年ヨリ御詰也

  同年四月廿二日 竹千代様御元服御祝儀ニ付 御献上物有之

  同年六月 江戸御上屋敷江雷落シ 大立目左太郎 雷死ス

  同年 御局様御男子御誕生 御名

  同年 宇和島沖之島公事起ル 土州ト之引縺レナリ

  このとき、土佐の国では、この問題を解決するために野中兼山が藩命を

  うけ、その政治的手腕を振るうが、かれが解決するために利用したのは

  長宗我部元親の作った古地検帳であったといわれている。

   ここで休憩

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