カシバードによる、東津野村5万2千メートル上空からのイメージ。右が北方向になる。
20万分の1の地図のデータしかないので若干、実際のものとは違うかも知れない。
特に遠方はかなりひずみ、バグがあるようで、場所については若干の違いがあるかも。
私のPCは98なので一枚作るのにかなりの時間がかかった。ふー。

  
これは、脱藩の道とは無関係だが、左は旧街道跡の標識、右は脱藩の道の案内板

梼原の宮野々番所をぬけると、北に道をとれば韮が峠、西の急坂を上ると、城川町
川津南に出る。龍馬は韮が峠を、吉村虎太郎は九十九曲峠(くじゅうくまがり)の道
を辿ったと伝えられている。この道はその名のとおりつづら折りの急坂が続いている。

現在は大規模林道西線が開通し、昔の道は一部変わっている。昔バイクでこの道を
何人かのメンバーで走破したことがあった。トライアル車ならなんとか通れなくもないが
こういうアホなことは真似をして金輪際しないように。(私はホンダTLRかヤマハのセローでした)

     
馬が通れるのなら、バイクも可能だろうと思い挑戦したのだが、一人では無理。
(龍馬脱藩の道も今は故人になったMさんと二人で走破した事もあった。)
(関係者のみなさん、すみません)

   

九十九曲峠は以前はうっそうとした杉林であったが、今では伐採されて明るくなって
いる。左・城川町から梼原方面を望む、中・「勤王志士脱藩遺跡九十九曲峠」
と書かれた石柱。右・最近作られた看板。

正しくは、梼原側から登るのが作法だが、写真の関係で、峠から梼原に少し下ってみる。


峠にはいろいろな記念碑が


これは、県境を示すもの

今は明るい所だが、最初に通った時は鬱蒼としていた。


道は極めてわかりやすいが、蛇に出会った


明るかった道も東に下ると次第に茂みに


ところどころに在る道標(梼原からを起点に)


かっては旅人の喉を潤した小川もバイクで越すのはきつかった。

初めてこの道を通った時には、全く標識などはなかったが、ブーム
による、町おこしの一環なのであろうか、所々に道標が見られた、
以前、石組みの建物の跡らしきものが在ったが、今回はそれを見つ
けることは出来なかった。峠から少し東側には湿原があったが、今で
はそれらしい名残はあるものの、ご覧のように環境が変わってしまった。

残念なことに、こういう場所ってあまり知られていないんだねー。
地元の人か、かなりのマニアくらいかな。

(バイクで登ろうとした時は、地元の人に尋ねたとき「モーターが時々走りよる」
と聞いて、一応走っても良いでしょうか?とお伺いを立て、許しを得て走った)
中には自然を破壊するから駄目だ、と言われる事もある。念のため。
今はもう現役引退なのだが、かなりの道を走った事が、それなりにこの辺りの道を覚える役に立った。

土佐勤王四天王関係

坂本龍馬脱藩の道

武市半平太生家

土佐勤王党
中岡慎太郎生家

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