牛鬼のいる風景・その1

宇和島の祭りには牛鬼が付き物である。

牛鬼の起源については、様々な説が唱えられているが、いずれも
確証があるものではない。ただ私の考えでは、宇和島伊達藩との
なんらかの関係があるのではないかと思われる。          
八ツ鹿(あるいは五ツ鹿)は東北地方の踊りが伝わったものだと
言われているが、牛鬼と八ツ鹿の分布範囲は、必ずしも一致して
いないようである。いわゆる南予地方には八ツ鹿の踊りは分布して
いる。これは東北地方の鹿踊りからきたものと伝えられている。

しかし、牛鬼が何処から来たのかは未だに正確に解明されていない。

私的・牛鬼考

あくまでも推測の域をすぎないが、離れた菊間町に牛鬼があるのは、
当町が「鬼瓦」の生産地であるために、何時の時代か移入されたので
はないかと思われる。菊間町の神主さんに尋ねても、由来が判らない
という事だった。                                

久万町では、祭りに牛鬼を復活しようと、何年か前に大きなものを作った
のだが、あるよけいな一言で、継続する事がなかった。よけいな一言とは
何か? それはある無知な宇和島から久万に嫁いだ女性の言葉であった。

秋祭りに昔の風習を復活しようと、地元の氏子は懸命に伝えられている牛鬼
を作って、本場の宇和島から来た人に見てもらったところ、彼女は一目見て

「これは牛鬼ではない。あまりにも不細工だ」と笑ったそうである。せっかく
苦労をして、自分たちの牛鬼を作ったものの、バカにされた人たちの意気
消沈ぶりが目に浮かぶ。宇和島の牛鬼しか知らなかった女性の無知が、
せっかくの意気込みを台無しにしてしまった。

私はこの話を久万町の関係者から聞いて、本当に恥ずかしい思いをした。

なぜなら……………   その2へ


牛鬼のいる風景

その1

その2

その3

その4牛鬼ストリート

その5看板その他

その6山口県光市


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