初代宇和島市長・山村豊次郎

山村豊次郎は村松嘉久蔵の二男として、明治2年(1869)3月16日に生まれ、翌年山村家の家督を継いだ。

 裁判所の給仕から身を起こし、24歳で東京の日本法律学校に入学、28歳で同校卒業。その翌年弁護士となり、郷里で開業した。それから終生郷土にあって、地方の政治、経済、交通、教育をはじめ、あらゆる文化促進のために働き、多くの偉大な功績をあげた。

 大正9年(1920)宇和島町長となり、翌10年には懸案の八幡村合併を成し遂げて、宇和島市を誕生させた。そして11年、初代市長に推されると、山積する重要な懸案を次々と解決していった。

 大正14年(1925)には市庁舎の移転新築、また、県都松山に先立って上水道の敷設に着手した。

 昭和5年(1930)5月、須賀川流域変更の大土木工事が着工された。この工事は宇和島港の起死回生の大事業であり、これを成功させるために払った山村市長の苦労は、言語に絶するものがあった。

 昭和5年10月、市長を引退してからは、私鉄宇和島鉄道の社長、南予時事新聞社長、宇和島運輸会社取締役、宇和島畜産組合長などの要職につき、多方面に活動する一方、昭和7年には代議士に当選して、国政に参画。政友会に属し、政界に重きをなした。

 この山村代議士の奔走によって、昭和8年(1933)に宇和島鉄道の国鉄移管が実現し、南予の陸運進展に光明を点じた。

 昭和13年(1938)9月20日、山村豊次郎は70年の生涯を閉じた。そして宇和島市はこの偉大な功績に敬意を表し、個人の霊を弔うに市葬の礼を以てした。
 

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