大正8年2月15日宇和島に初めて自動車が走り、愛媛県始めての交通事故発生。
大正7年11月、宇和島自動車は県下11番目に自動車運行の免許をとった。
創立中心者は、宇和島警察署元刑事、香川角次。醤油醸造業中平壮作、呉服商上田仁一ら
が賛同者となり、資本金5万円を目標に東奔西走し、苦労して集めたようである。
大正8年2月15日宇和島で初めて自動車が走った。定員6人乗りの車で試乗会を盛大に行
ったが、デモンストレーションで走っている途中、その日の午後、宇和島吉田間の知永峠で転
落し、県下初の交通事故を起こした。
転落事故の犠牲者は、横新町の老舗「しわく屋」の兵頭新吉、四国銀行、上田某が死亡、そ
の他3名が重軽傷を負った。
この事故が災いしたのか、宇和島自動車は経営困難な状況が続いた。
その後諸会社との合併を経て、宇和島運輸による救済を得るなどして、現在の宇和島自動車
になる。
【参考・津村寿夫著―宇和島の明治大正史―より】
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