★同年、三間佛木寺大日堂御造営、奉行・内藤三右衛門。
★同年六月廿七日 左京亮様より松魚節壱箱二百入 御献上
★同年九月四日 殿様より将軍様・大納言様江黒漬鰯三百入壱
桶宛御献上。
是御家より八朔ニ鯣(するめ)、九月ニ黒漬鰯御献上之例、今
年ニ始る。
慶安二年己丑二月五日 宇和島大地震、御城石垣其外御破損多
く在之。
同年九月九日、宇和島一宮神社祭ねりもの、今年より始めて出
る。新町に市町立も今ニ始まる。
同年九月廿六日 於宇和島、草野助左衛門不届之義有之、切腹
被仰付。
同年八月 殿様御文を以、酒井讃岐守、松平伊豆守、阿部豊後
守、阿部對馬様へ被仰入、
私病気も未得快気、登城得不在、迷惑奉存候。将又大地震
にて城廻り破損仕由承及候、冥加之為、何処成共修復仕度
被仰付被下置候奉頼候旨、被仰入候。
慶安三寅十二月、宇和嶋城追手其外城廻り普請奉行。尾川孫左
衛門申付ル也。
同年 舛形ヨリ来村川下迄捨石、船山文六申付ル
★同年春より枡形向より来村川下まて遠浅へ捨石、船山文六申付
之。
★同年 大手其外御城廻り石垣破損御修理、奉行、尾川孫左衛
門承之。
★同年五月十日 江戸大雨雷鳴甚しく、御上屋敷江落雷し、三浦
甚太夫、服部庄太夫両人、下人共ニ絶死ス。
★同年十二月七日 殿様より大納言様へ春日祭絵草子二冊御献
上。
御入部後、侍其外御召抱ニ相成、此節侍屋敷弐百五拾軒餘、尤
丸之内共。
給知之侍 弐百人余
扶持切米侍 四百八十人余
総足軽 七百七十人
御小人持槍之者 六十人
足軽以下都而 千弐百人余
御船数 九拾艘
御領地内鉄砲 千五百挺
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