宇和島映画ロケ史
(宇和島地方でロケが行われたもの)
(資料協力・田部司氏)

てんやわんや 昭和25年(1950) 松竹 渋谷実監督 佐野周二 淡島千景 藤原鎌足
宇和島市神田川上流の神宮寺周辺、津島町でロケ。松尾坂を走る宇和島自動車のボンネットバスが出てくる。
宝塚歌劇出身の淡島千景のデビュー作
大番 四部作 昭和31〜32年 東宝  千葉泰樹監督 加東大介 原節子 
青山京子 三木のり平
宇和島城でギューちゃん役の加東大介と青山京子のデートシーン。宇和島駅、萬栄丸が出る。この映画を因み「大番」という饅頭が作られた。
無法者の島 昭和32年(1957) 大映 島耕二監督 鶴田浩二 青山京子 
黒川弥太郎 
御荘町でロケ。宇和島では鶴田浩二歓迎会が催された。
南海の狼火 昭和35年(1960) 日活 山崎徳次郎監督 小林旭 浅丘ルリ子 
宍戸錠
最初は渡り鳥シリーズ第二作「海の彼方の渡り鳥」というタイトルであったが、いつのまにか「南海の狼火」に変わった。
7月22日午後8時30分ロケ隊来宇。ロケハンは23日、本隊は29日、総勢200名で来宇。和霊大祭は祭りだけ撮影。8月12日に和霊神苑で1万人の観衆が見守る中、小林旭がツーレロ節を歌うシーンが撮影された。
8月16日に築地でお別れロケ?。昼間の撮影だったが、映画では夜のシーンであった。宇和島城天守閣の前でデートしている、二人が次のシーンでは滑床の雪輪の滝の前になっていた。場所を知っている地元の人間にとっては何とも不思議なカット割りであった。
地元のローカル紙では毎日のように「ロケ便り」を掲載し、取材合戦を繰り広げていた。この頃でもスターも付き合いが大変だったようだ。まねかねた宴会に出ないと生意気だとけなされ、かといって連日つきあう訳にもいかない。われらが浅丘ルリ子ちゃんも「可愛い」という評価と「それほどの美人ではない」という二つに分かれた。挿入歌「さすらい」は大ヒットした。
「この日美し」
(企画のみ)
昭和37年(1962) 松竹映画 岩下志摩
ロケの企画があったが、主演の岩下志摩が病気のために、最終的には流れてしまった。
東京オリンピック 昭和39年(1964) 市川昆監督 多数出演
聖火ランナーが日本を駆け抜けるシーンに宇和島市九島の段々畑の中を走るシーンが上空から撮影された。当時はコースでもないのに、という批判の声も一部あったが、当時はまだ残っていた緑美しい幾何学模様の段畑を走る光景は見事なものであった。
私の同級生も伴走者として出演した。9月26日午前11時から市内九島の芋畑で市内中高生23人のランナーが参加。ヘリコプターによるロケが行われた。
喜劇・団体列車 昭和42年(1967) 東映 瀬川昌治監督 渥美清 佐久間良子
宇和島駅 商店街 石応 宇和島南高でロケ。
新網走番外地・流人岬の血斗 昭和44年(1969) 東映  降旗康男監督 高倉健 岩崎加根子
大木実 志村喬
盛運社桟橋や和霊大祭でロケ。
旅の重さ 昭和47年(1972) 松竹 斉藤耕一監督 高橋洋子 秋吉久美子 高橋悦史 三国連太郎
新居浜の九鬼素子の同題小説の映画化。宇和島商店街 津島町、三間町、宇和町、西海町でロケ。管理人は松山市から宇和島に帰る途中、宇和町でロケ現場に出くわす。ロケの為に国道56号線で暫くストップ。頭のシーンはその時に撮影されたものと思われる。西海町外泊の石垣の家が高橋悦史の自宅という設定。銀天街入口の木藤時計店辺りをうろつく高橋洋子の映像を覚えている。
日本侠花伝 昭和48年(1973年) 東宝 加藤泰監督 真木洋子 渡哲也
真木洋子が宇和島出身という設定。渡哲也は来宇せず。宇和島、吉田町でロケ 牛鬼のシーンもある
トラック野郎・
天下御免
昭和52年(1977) 東映 鈴木則文監督 菅原文太 由美かおる 愛川欣也 杉浦直樹
築地の魚市場、丸山の闘牛場でロケ 宇和島出身井上真介が助監督で参加
瀬降り物語 昭和60年(1985) 東映 中島貞夫監督 萩原健一 藤田弓子
滑床渓谷や松野町などで長期ロケ。ショーケンが虫に刺されて宇和島のA皮膚科に夜来たという。宇和島のスナックで藤田弓子と知り合った、へーちゃんはその後彼女の結婚式に招かれたとか。この頃のショーケンはまだ生意気だったとか。(という噂であった)
流転の海 平成2年(1990) 東宝 斉藤武市監督 森繁久弥 野川由美子 佐藤浩市
四万十川 平成3年(1991) 恩地日出夫監督 樋口可南子 小林薫
高知県西土佐村出身の笹山久三氏の小説「四万十川−あつよしの夏」(87年度文藝賞受賞・89年度坪田賞を受賞)の映画化。原作を読まれる事を勧める。
和霊神社や闘牛場、水産高を病院に見立てのロケ。
長期ロケの為に、松野町の料亭・末広に樋口可南子様はお宿を取られた。ロケの合間をぬっては宇和島に来てはパチンコをしたり、スイミングプールに通っていた。そのとき管理人は樋口可南子様のサインをもらったりした。

 

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