延宝元癸丑
四月十六日 おか町火事、上野弥次右衛門預組十九軒焼。
五月 九日 一、本町土佐屋市十郎被切殺。十一日 一、向新町
火事出来、家三軒焼失、十四日、一、大雨大風、在々浦方洪水。
六月 三日 一、ゑけれす舟、去月廿五日長崎江入津之由、中嶋
左兵衛より注進。
七月 廿七日、一、向新町又兵衛、両度之火元故御城下追放。
十月廿七日御免。
八月七日 一、御姫様御祝言、廿六日相済由申来。
霜月 八日、一、小波権丞相田兵右衛門、閉門御赦免。
延宝二甲寅
四月 十二日、沖ノ嶋盗人二人斬罪申渡。
五月 一、吉田と御和睦之義申来、十六日、一、御兄弟様御和睦
ニ付、芳賀助之進御使者、一通之衆中迄、宮内様より御書被下。
廿日、与力鷹匠太右衛門夫婦成敗申付、右ハ同与五兵衛と喧嘩、
与五兵衛手重相果候ニ付而也。
★六月十六日 盗賊作之助・傳右衛門成敗ニ付、生ながらけさ切
胴切様有之。
八月十七日未刻より戌刻迄大風、毀家四千弐百軒余、此外大小
不残之損、船百六十艘破損、田畠田晩田半分損耗同田方
不残損耗、死人五人、死馬一疋、江戸江申遣。
九月十七日、一、子刻出火。火元紺屋庄兵衛。類焼、以下多数に
付き略
十月十九日、一、来村柿原辺御鷹野出御之節、耕作営土民共平
伏急退仕候。以後不顧憚、耕作之尾分ハ可致旨、往還之
土民無滞相通候様。
十二月 廿七日 奈良山金山金堀二人申渡。委細別紙在。
延宝三乙卯
二月十六日 一、土佐御領境杭取可申由。木田七左衛門へ申付。
廿六日、松山者徳右衛門盗仕、成敗。首獄門、七兵衛二郎ハ成
敗。火付りん火あふり。戸助右之夫故成敗。そ助成敗、首
東多田関所ニ而獄門。次郎はりつけ、馬盗人徒類成敗申
付、則正覚院ニ申付。
閏四月 廿七日、一、八幡浜岩助嘉助、矢之町武右衛門いときく
女成敗申付。
★極月 宇和島内海浦魚神山、新浦ニ相成、藤江浦須賀川下新
田築始願聞届ニ相成。
延宝四丙辰
★正月 望月助兵衛組三郎兵衛、九右衛門妻と差違て相果候事。
卯月 廿六日、一、喜木村治兵衛於所はりつけ、二田藪五左衛
門、大久浦伝丞、三机五郎助、久助於所成敗こくもん、鎌
盗人成敗。
★今年飢饉人多く死ス。二月十一日、風雨、山奥筋損。五月八
日、大雨、宇和・矢野・保内、植田流失。御庄・津島・御城
下。流田甚多し。
★御城内長門丸御金蔵へ、中井九郎左衛門家来傳助立入、銀二
十貫目盗取。
当時御城内御金蔵ニ在之御金高左之通。
一、 銀四百拾五貫目 廿一箱入
一、 同百貫目 六箱入
但臨時用
右六箱之内、黄金弐枚 小判廿九枚 壱分判八拾壱両
一、 金子都合
八千三百九両貮歩 釘付一箱ニ入
内
黄金拾枚
小判千八拾弐両壱歩
吹金三百九拾壱匁
銀九拾三匁七分ニ入
一、 銭弐万弐貫目
七月 四日 昨日より大風雨、御城下洪水。
十月八日 一、御城長門丸御銀蔵御銀弐十〆目、中井九郎左衛
門道具持佐助盗取
(『御歴代事記』では金蔵となっているが)
十一月三日 次郎丸より熊壱打来ル。
十二月、中井九郎左衛門、閉門御免被成下
延宝五丁巳
十月十九日 子を殺シ長堀ニ捨置候助右衛門と申者、妻共新町橋
ニ而三日さらし、町中引渡、焼印、当親子三人共追放、犬神持之
由故不及欠所也。
十一月 廿七日 宇和居候付、打ニ遣、打参ル。
閏十二月 吉田宮崎八郎兵衛、名新宮治部太夫と改候由。
延宝六戌午
四月二日 三机五兵衛甚左衛門、豊後江走り申筈之処露頭致、所
ニ而斬罪申付。
六月三日 栗野四郎右衛門、八朔之御使者被仰付。
霜月朔日 松平大和守様より活二羽被進。
十二月十七日 富沢宇右衛門不行届跡候へ共、御追放ニ而ハ路
頭ニ立可申、先代之御奉公不便ニ思召、御知行被仰召上、少々
御扶持被下、蟄居被仰付。
延宝七己未
六月廿二日 御作事人足六蔵、相手之女房共成敗.。
七月十二日 横新町津野屋吉右衛門、船頭治郎助、同町甚兵衛、
吉田町人貫抜十左衛門、京屋与九郎、淡路屋善四郎、申
合、入米仕付、治郎助甚兵衛、四日ニ磔ニ申付、善七喜兵
衛両人同類故、喜兵衛同罪ニ申付之。善七ハ欠落首溢果
也。四郎兵衛成敗、水主九兵衛壱俵積下売申故成敗、六兵
衛助左衛門源兵衛追放、正左衛門源左衛門儀兵衛過代申
付ひめ砂十俵しゃり砂十俵。
十二月廿二日 長遠寺甥ヲ等覚寺坊主、それハきりころし申候
出。
霜月十六日 伊達兵部様、於土州今四日御死去。
延宝八庚申
二月十二日 大工町小走一右衛門、にせかね致、張付ニ行。
十月九日 来村ニ而御持筒七左衛門打 |