何じゃこれ?

  
こんなものが出てきたので人類の未来の為に公開する。

私の脳だ。小さいことは判って居る、余計な事は言わんでほしい
よく見て欲しいのは左の鼻の奥。目の玉はわかるであろう。
鼻の奥はほぼ脳の中央部分である。左が黒くなっておる。
2002年4月17日、某医院で脳のCTをとったらこのような状態であった。
自分の頭の中がこのような状態だと判ったら、我ながら気持ち悪くなった。
黒い影は「ドクダミ」で治った。自然に治ったのか、ドクダミ様のおかげか不明。
手術を覚悟で市立病院に行って、精密検査をして貰ったら、消えていた。

今明らかにされた「中央日用品市場」の謎にせまる!


一番下にも出しているが、市内某所で見つけたこの写真の謎を
市内のMHさんから教えていただいた。

時空を超えて今明らかになった謎を解き明かす!
(どこかのテレビ番組の真似をしてみた)

【南豫時事新聞 大正15年11月30日付、2面】
    
公設市塲が
またもめ出す
辭任後の理事補缺に
     
柏木助役から指定商人へ相談

  一時は廢止説まで出て其の設置効/用の如何を疑はれゐる丸之内□宇
和島市日用品公設市場は兎も角も/現状維持で續けてゐるが最近市場
  内の商人中同業関係のものゝ係爭/が露骨となり曩に二宮理事が辭任
  以來場内商人から指定してゐた臨/時の理事もその係爭にゐたゝまら
  ず殆どその實をあげてゐない有様/で最近は内部の紛爭が一層はげし
  く電話の取次にも圓滿をかぐと云/つた始末に市でも捨て置けず二十
  九日午後一時から市塲商人十名を/市役所へ招き柏木助役代理より訓
  示をなしなほ商人側から理事を出/すかさもなくば市の書記から理事
  を任命して市場内の紛議を一掃せ/しむるかに就て協議を遂げた


【南豫時事新聞 昭和3年7月10日付、2面】
    
公設市塲の撤廢と和靈~苑の大擴張
     
十五日迄に完成して面目一新…C淨な地域とする

  市内丸之内の公設市塲は愈□十二/日公賣入札に附し落札?は十五日
  までにこれを取除きその跡□地?/うしして來る二十四日の和靈大祭
  □~輿御旅所となるわけであるが/これに引續き丸之内和靈~社と追
  手門内外の整理改造を行ひ今秋の/御大典までに面目を一新する筈で
  現在の道路に面した和靈~社の土/堤をつぶし下水を全部暗渠として
  地ならしをなし現在境内にある不/細工な賣店や城門外にある同様賣
  店も市塲と共に取拂ひ和靈~社の/~苑に擴大して噴水池や休憩場所
  等を設置して全く面目を一新する/事となす筈である

【南豫時事新聞 昭和14年3月28日付、1面】
  (〇募集広告)
 
 至急募集
當市塲四月中旬開業の豫定
賣店十駒の内未契約四店あ
り希望者は至急來談下さい

上はいずれもMHさんから提供いただいた当時の新聞記事。ここで感謝申し上げる。

ん??・宇和島が飛び地??


先日買った本なのだが、右の写真の文字
「仙台藩の飛び地領、宇和島」
なんじゃ?こりゃ?
という訳で、この本の見出しは間違っているのだ。
茨城県には仙台藩の飛び地があったらしいが。勘違いでしょう。


事故だー!

   
我が家のそばの四つ角は交通事故が多発している。年に5〜6回は発生している。
ほとんどが一時停止をしなかった為に起きた事故である。
今のところ死亡事故はないが、とにかく事故の多い場所である。
にもかかわらず、未だに一時停止の標識だけである。
おそらく死亡事故が起これば点滅の信号が出来るだろう。
右の穴の開いたブロック塀はその後直された。
左の写真の事故と、ブロック塀の穴とは直接関係はない。
実は左写真の事故の後、また大きな事故が起こり穴が開いた。
しかも、この塀はこれまでにも何度も壊されている。本当に危険な四つ角である。
(左)私が在宅中に起きた事故
(中)その後起きた別な事故で穴があいたブロック
(右)最近修理されたブロック

道路標識三連発

   
意図は判るが、あまり必要はないと思う。見れば判るから。まあ、座布団一枚!


一月も終わる頃の夕方。
城山下の旧・マツヤ電器横
(その昔は山田家別荘と言った方が判るかな)の交差点でこんな光景を目にした。
やらせではない。写真には写っていないが左のほうにはパトカーもいた。
大きな怪我人もでなかったようなので写真に撮ったが、当事者にとっては辛かっただろう。
でも、車と後ろのリサイクルショップの看板が絶妙な取り合わせだ。
関係者の方にお詫び。気を悪くされたら御免。

上をだしたついでに思い出した。

2004年9月25日 場所はスーパー林道 途中
そこまで端によって駐車するこぁないのに、気ぃ使って。
みんなこんな心がけなら違法駐車もなくなるのにね。

宇和島市住吉町の宇和島歴史資料館の庭に、何気なく置かれている、旧日本海軍の魚雷機関部

 

こうして見れば判る。

直径は約61cm、私は全く兵器の事は判らないが、これは酸素式魚雷機関部と聞いて
いる。魚雷は主に航空機から投下する魚雷、潜水艦から発射する魚雷、艦船から発射
する魚雷の三つのタイプがあるそうだ。潜水艦で使用するものは主に直径53cm、
航空魚雷は径45cm、水上艦艇のものが61cmだそうな。潜水艦のものは全部酸素機関部
だが、水上艦用では初めは圧縮空気を使用していたらしい。これは酸素式魚雷機関部
と書かれていることから、93式魚雷という事になった。

これが出てきたいきさつも面白い。
話しに聞くと、宇和島予科練の爆雷の教材であったとか。初めは予科練だから航空魚雷
だと思っていたが、ちがっていた。敗戦濃厚の時、最新式酸素魚雷は日本海軍の先端を行く
技術のもので、見つかると米軍に押収されるからこっそり城北中学校庭に埋めていたらしい。

埋もれたままで何十年も経過して、校舎を新築する為に校庭を掘り起こしたら、これが
でてきて、びっくりたまげたそうだ。あちこち問い合わせたが「世界の艦船」という雑誌社
の編集部の方から丁寧なご教示を頂いた。とにかく貴重なものらしい。


夏も終わりの8月末、西予市卯之町に行った。
中心街ねー。気持ちは分かるが。
(17/8/31)

上は昭和53年に国土地理院から出された宇和島1:25,000の地図であるが大きな間違いがある。この地図のどこが間違っているか答えなさい。
どうしても判らない人はここを見る。


昭和50年頃だった、バイクで津島町の林道を走っていた時、
突然野犬が子ウサギをくわえて飛び出した。
思わず、片手でカメラを構えた。


上の写真を撮った日、津島から黒尊に抜ける加塚林道を走った。
現在は津島町御槙から黒尊に抜ける林道の愛媛県側は全面舗装
になっているが、当時は県道からすぐにダートだった。トンネルの中は
今も昔も変わりはない。写真は増感しているので明るく見えるが、
バイクのライトで走るには、ちと不気味な感じがする。漆黒の闇から
今にも何かが、襟首をつかみかかりそうな感覚におそわれた。

このトンネルからでて黒尊に下りる道は今でもダートだと思う。
道がよく崩れていて、途中で引き返した事は何度もある。
四輪は離合困難だが、このトンネルはバイク雑誌でよく出てくる。


以前から気になっていた。市内丸の内にてこういう場所の表示は気がつきにくい。♪上を向いて歩こう♪

昭和60年頃、鹿児島湾で見つけた潜水艦。もちろん海上自衛隊だと思うけれど
漢字では気がつかないが、発音はどいなかタモリの番組にも登場した有名な地名。8月には宇和島市になる。
バス停名・いなか
以前は宇和島自動車路線バスだったようだが、今は自治体経営に。デザインは同じだ。場所・津島町


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