上甲正典と宇和島東高野球部・栄光の伝説

昭和57年8月、宇和島東高野球部監督に就任した
上甲正典は、その5年後長年夢見ていた甲子園
初出場を果たし、その後春夏通算11回、宇和島東高
野球部を甲子園に導いた。選抜初出場、初優勝の快挙を
成し遂げ、宇和島東を県立校で甲子園常連校の一つに数えら
れるまでに育て上げた。ここでは甲子園に至るまでの県大会
決勝戦を主にした、宇和島東栄光の軌跡を紹介する。
上甲正典監督はその後松山済美高校に移るため、その後の宇和島東については割愛する)
断って置くが、決してその後の宇和島東が、甲子園に出場出来ないという事ではない。

おー、久しぶりに甲子園に出場したなー。

でも、おそらく監督は足が地についていなかったのではないか?

初出場した一関商工との対戦を想い出す。あの時もあれよあれよと思う間に0−3で完敗した。

甲子園戦績

主な選手
昭和62年(1987)夏 初戦敗退(一関商工3−0) 小川・明神・山中
昭和63年(1988)春 初優勝 小川・明神・山中
平成元年(1989)夏 二回戦敗退(尽誠学園3−1) 宮崎・柴田
平成 5年(1993)春 初戦敗退(常総学院9−3) 平井・橋本
平成 5年(1993)夏 二回戦敗退(桐生一7−2) 平井・橋本
平成 6年(1994)春66回選抜 準々決勝で敗退(智弁和歌山) 岩井・橋本・宮出
平成 6年(1994)夏 初戦敗退(北海6−2) 四季連続(々)
平成 9年(1997)春 初戦敗退(日南学園3−2) 中村・丸石・広瀬
平成 9年(1997)夏 初戦敗退(函館斗4−1) 中村・丸石・広瀬
平成10年(1998)夏 3回戦敗退(常総学院4−2) 近平・丸石
平成11年(1999)夏 初戦敗退(新潟明訓10−5) 三年連続(大星)

宇和島東高野球部

 明治29年開校(当時は県尋常中学南予分校)の旧制宇和島中学(戦後の一時
期は宇和島一高)と同35年創立の旧制宇和島商業が前身で、昭和23年の学制
改革で統合し宇和島東高に。野球部は明治34年に誕生。県内では同25年に
創部の松山中、同29年の西条中などに次ぐ伝統校。

 甲子園には過去昭和62年夏、63年春、平成元年夏、5年春、夏、6年春、夏、
9年春、夏、10年夏、11年夏の11回出場。63年春の選抜大会ではパワフルな
「牛鬼打線」の活躍で初出場初優勝の偉業を達成。全国に宇和島東の名を広めた。

 前身の両校は、昭和初期から良きライバルとして競い合い、昭和4年夏にはともに
四国大会に出場。宇和島中が宇和島商を破り4強入りしたが、高松商に決勝進出を阻
まれた。10、11年夏には宇和島中が、12年夏には宇和島商が四国大会に出場し
たが、甲子園への壁は厚かった。13年夏にも県大会で宇和島中と宇和島商が決勝
対決し、四国大会にそろって出場するなど、戦前の黄金期を飾った。

 戦後高校野球になった昭和23年夏に宇和島一高が県大会で4強入り。29年の夏
では延長の末、松山北を破り13年以来16年振りの優勝を果たした。
その後も30、41年夏には北四国大会に出場。
35年、39年春には四国大会で準優勝したものの、以来不振の時代が続く。

 昭和57年から指導にあたった同校OBの上甲正典監督の下で力をつけ、59年、
61年夏には県大会決勝戦まで進出したが、二度とも松山商に大敗を喫した。ようや
く62年夏三島を決勝戦で破り、創部87年目で悲願の甲子園出場を果たした。甲子園
では初戦で姿を消したが、翌63年春の選抜大会では決勝で東邦を6−0で破り、
小川−明神のバッテリーらの活躍で、初出場ながら紫紺の優勝旗を持ち帰った。
 平成元年(1989)夏の全国大会では1回戦で東海大山形を3−0で破ったが、2回戦
では尽誠学園に敗退した。五年の選抜では2回戦で常総学院に3−9で完敗。夏の全国
大会にも出場、好投手・平井(オリックス−中日)を中心とした大型チームは優勝候補に
あげられ、1回戦では三重海星に5−1で快勝したが、2回戦で桐生一に2−7で敗れた。

 5年秋の四国大会では総合力で初優勝を飾り、6年春の選抜に出場。1回戦で東北を
11−2、2回戦では広島商を4−2と破り、準々決勝に進出したが、この年優勝した
智弁和歌山に延長10回5−6で敗れた。

 平成6年夏の全国大会にも出場し、県勢としては戦後最多の四季連続甲子園出場を果た
したが1回戦で北海に2−6で涙をのんだ。9年春は1回戦で日南学院に2−3、夏も1回
戦で函館大有斗に1−4で敗れた。10年夏には2回戦で佐野日大に5−4で競り勝った
が、3回戦で常総学院に2−4でまたもや敗退した。

平成11年夏、三年連続出場を果たしたが、新潟明訓に10−5と初戦で敗退した。
このチームが上甲正典が率いて甲子園に行った最後のチームとなった。

平成13年夏の県大会を最後に、上甲は母校であり、汗のにじんだ宇和島東
グランドを後にして、亡き妻の故郷である松山に移り、済美高校の監督になった。

さらに管理人の主観が入った、上甲監督と野球部の話を見る


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