時代の順番は一定ではないが、古い絵はがきに描かれた宇和島を見る

資料は主に、丸穂の立花さんから提供されたもの。(地図でもお世話になりました)



番外編・魚成村道路工事の様子
(魚成村=うおなし=旧城川町・現西予市)


大正7年7月23日撮影、里道工事の様子。


大正15年愛媛県で初めて上水道が開通した。
これは先人の血と汗の結晶である

宇和島上水道の記録を見ましょう

 
宇和島市が発行した記念絵葉書セット

   
左端はセットとは別なもの 
中・市役所横で水遊びではない、念願の通水を喜んで消火栓を使っているいる様、右・材料検査室


左・水道局、中・水道計量器室、右・配水池

   
左・濾過場内部、中・濾過場、右・沈殿池



一般建築物


融通座(落成したばかりのようだ花輪が見える)


市役所(これはよく見かける)



寺社仏閣

 
龍光院、


愛宕公園

和霊神社


右はなぜかお遍路さんが居る。


祭礼行事

は天赦園で撮ったものと思われる。
今は三浦地区にしか残っていない「鬼退治」の練りも
どこかの町内にあったようだ。町名が見えないのが残念。
(鬼退治は三浦地区では「大江山」であるが、これは「桃太郎」」

左から、桃太郎、八つ鹿、お槍振り(右二つは現在も保存されている)



これも八つ鹿だが、誤植で「人鹿の乱舞」と書かれている。
八つ鹿であっても、乱舞はしない。人鹿の乱舞は気味が悪い。


海から川に

 
ご存じ「覗き岩」、
昔の人は阪神航路から帰途につき、宇和島港の玄関で、
この奇岩を見てふるさとに帰った実感を味わったとか。

 
左から「赤松遊園地」「樺崎沖」(日本酒類工場がかすかに見える)

 
「内港」 と 「須賀川・見返り橋」

 
左・和霊神社前の「御幸橋」(まだ木造)
右・場所は不明だが須賀川下流とある。和霊大橋と道連橋の中間の堰きがあったあたりか?
背後の山は泉ヶ森のように見える。


須賀川を上りつめると、鮎返りの滝に出会う。



宇和島中学校(現・宇和島東高等学校)


丸の内に出来た明治の当時の宇和島中学


プール落成記念
(おそらくこのプールは私が高校生の頃のものと同じだろう)


大正14年度宇和島第一尋常小学校記念運動会
と書かれているが、何の記念か判らない、
くわんけひしゃがおひでのせつはぐをれんらくを(じゃうだん、じゃうだん)


南予会館
森岡天涯氏が尽力して建てた建物。
御大典記念の絵はがき

建物は戦災で焼失した

     
右から二番目のものはよく目にする。



あかつき丸



この時代の牛鬼は、今とは違ったスタイルである。


 
天守閣。



大正14年の宇和島市内




石応(こくぼ)・堂崎の上から眺めた景色。小島は小高島遠くの半島は、大良鼻(おうらがはな)



闘牛

 
これらはカラーなので比較的最近と思われるが、でも………、
やはり昔か、和霊神社の裏にあった闘牛場と思われる。

     


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